英語中学3年生教科書「NEW CROWN(ニュークラウン)」へ突っ込みながら日本語訳(和訳)していく


前回実施した「教科書へ突っ込みながら訳していく」第二弾です。


今回は中学三年生の教科書がターゲット。


早速いってみましょう。


ちなみに、前回はこちらね。




レッスン1 My Favorite Words 



p6
ブラウン先生:今年のあなたのクラスの標語は何?
久美:「1人はみんなのために、みんなは1人のために」。それは健が提案したものなんです。

ブラウン先生:いいわね。チームスピリットの大切さを思い出させてくれるわね。

久美:そうなんです。私たちはお互いに助け合わなければいけません。その標語は、私たちのクラスにぴったりなんです。



健はルーキーズ見たのかな。久美が持っている看板がシュール。



p8
「勝者は決してあきらめない」

この言葉はピート・グレイによって語られたものです。プロ野球でプレーすることが彼の夢でした。彼は6歳のとき、事故で右腕を失いました。しかし、彼は決してあきらめませんでした。それでもなお、熱心に練習しました。彼は、その闘志で知られていました。ついに彼の夢はかないました。彼はプロ野球選手になったのです。

昨年、私は剣道の試合で全く勝てず、落胆していました。私はクラブをやめようと考えました。その時、グレイ選手の言葉に出会いました。私は彼の言葉に勇気づけられました。

私にとって、この言葉は他のどんな言葉よりも力強いです。私は困った時この言葉を思い出します。



久美がそんな迷っている時があったとは。2年生のいつ頃だろう。そして、ピートグレイの名言を選ぶあたり、素晴らしい。



p10
男性:すみません。お城までの行き方を教えていただけませんか?
久美:ええと,この道を進んで,銀行のところで左に曲がってください。
男性:銀行のところで左ですね。
久美:そうです。右側にお城が見えるでしょう。



突然のお城!!!




レッスン2 France       Then and Now



p12
ボンジュール(こんにちは)。

私はマリー・デュポン、フランスからやって来た服飾デザイナーです。3年前に日本にやって来ました。その時からずっと緑市に住んでいます。私は日本のファッションやポップカルチャーに興味があります。マンガからのイメージは何年もの間私のデザインに影響を与えています。



フランス人のゲスト、そして隣のページではスミス先生というゲストが登場。素敵な学校。



p14
健:あなたは長い間ずっと日本に興味を持っているのですか。
デュポンさん:はい、そうです。私があなたたちの年齢だったとき、よくマンガを買いました。
健:わあ。なぜですか。
デュポンさん:かっこいい登場人物や、とてもかわいい衣服を着た登場人物がいるからです。
健:そうなんですね。どれくらい服飾デザイナーをやっているんですか。
デュポンさん:2008年からです。



なぜですか?にすぐ答えられるデュポンさん、さすが。



p16
「フランス:あの頃、そして今」

この絵は1876年に描かれました。その中には多くの日本的なイメージのものがあります。例えば、着物や多くの扇子が見えます。しかし,それは日本の画家によって描かれたものではありません。それはフランスの画家,クロード・モネによって描かれたものです。


19世紀の中頃、日本の浮世絵がフランスの芸術家たちに衝撃を与えました。モネはその中の1人です。彼は浮世絵版画に魅了され、200以上もの絵を収集しました。彼は浮世絵を研究して,この絵を描いたのです。日本の芸術作品はこの時代以来、フランスの画家たちに影響を与えているのです。

p17
今日、若いフランスの人々は,新しい形で日本の芸術を経験しています。フランスの多くの書店がドラゴンボールやナルトなどを売っています。これらの漫画は若いフランスの人々にとっては斬新でおもしろいのです。登場人物の顔ははっきりと彼らの感情を表しています。彼らの動きは多様に表現されています。物語はわかりやすく、はっきりしています。こうした理由で、漫画は過去数十年間に大変な人気になっています。


このように、フランスの人々は、何百年もの間日本の芸術を楽しんでいます。たぶん、日本におけるフランス文化の例がどこで見られるか、あなた方はご存知でしょう。もしおわかりなら、私のブログを通じて連絡をください。


ドラゴンボール!!わかっているじゃないかフランス人と言いたくなるドラゴンボール好きな私。


p22
久美:ブラウン先生、私、気分がよくないです。
ブラウン先生:どうしたの?
久美:頭痛がします。
ブラウン先生:それはよくないわね。保健の先生に見てもらった方がいいわ。連れて行ってあげる。
久美:ありがとうございます。


そんな時も英語で言える久美、さすがです。





レッスン3 Rakugo Goes Overseas



p24

健:ちょっといい?

エマ:ええ。ちょうど宿題を終えたところなの。
健:ええと。英語落語公演のチケットを2枚持っているんだ。
エマ:それは運がいいわね。
健:僕と一緒に行かない?
エマ:喜んで。去年からずっと落語に興味があったの。



健とエマの安定コンビ。


p26

私の落語ショーへ、ようこそ。

今までに落語を見たことはありますか?もし一度もなければ、覚えておく点がいくつかあります。1人の芸人がある話を語り、すべての登場人物を演じます。扇子と手ぬぐいは、さまざまなものとして使われます。

では、始めましょう。



健とエマ、割といい席。



p28
「落語は海を越えて」


I:クラウン・ニュース紙のデイビッド・ジョーンズです。希巳江さん、今日の公演は本当にすばらしかったです。
K:ありがとうございます、デイビッドさん。それを聞けてうれしいです。
I:いくつか質問をしたいと思います。ではまず、どうして英語で落語を演じ始めたのですか?
K:アメリカに住んでいた時、「日本のジョークを聞いたことがない。ぜひひとつ聞かせてくれる?」と何人もの人に言われたんです。
I:本当ですか?
K:そうです。彼らは、日本人は決して笑わないと思っていたようです。だから、私は、日本のユーモアを世界中の多くの人と共有し合いたかったのです。

p29
I:どれくらいの期間、英語で落語を演じているのですか?
K:20年くらいです。これまで多くの国に落語を公演しに行きました。公演旅行はいつもとてもわくわくします。
I:公演旅行では何か困ったことはありましたか?
K:はい。いくつかありました。日本の習慣でその他の文化のものとは違っているものがあります。例えば、われわれ日本人は,麺を食べるとき音を立てます。しかし他の文化では、これは行儀が悪いことなのです。だから、このような日本の習慣について,ときどき説明をしなければなりません。でもそうすることで、みんなが公演を楽しめるようになります。
I:よくわかりました。次の計画は何ですか?
K:引き続き世界中に笑いを広げていくことですね。そうすることがより平和な世界を築くことになるでしょうから。
I:お時間を取っていただき、ありがとうございました。お話できて楽しかったです。
K:どういたしまして。



これは僕も見たい。20年もやってるんだ!すごい。



レッスン4 The Story of Sadako



リングの貞子ではない。テレビからは出てこない。


p38

この建物は1945年に破壊されました。私たちはそれを原爆ドームと呼んでいます。
ドームは戦争の悲惨さを思い出させるものです。悲しい気持ちになります。ドームは同時に平和への希望を表しています。私たちは平和の大切さを覚えておくべきです。


p40
エマ:ショックだわ。
丘先生:今まで多くの人がそのように感じてきてるんだよ。でもわれわれが戦争の現実を見ることは大事なことだよ。
エマ:二度と起きてはいけないですね。
丘先生:だからわれわれは平和について考えなければいけないね、今も、そしてこれからも。
エマ:そうですね。過去の経験から学ぶことができますものね。



忘れちゃいけないもの。こうやって教科書で伝え続けていくのはいいことですね。


p42
「禎子の物語」

それは閃光とともに始まりました。1945年8月6日、原子爆弾が広島に落とされたのです。爆弾は街を破壊しました。少なくとも13万人の人々がその年の終わりまでに亡くなりました。しかし2歳の佐々木禎子さんは生き残ったのです。
小学校時代、禎子は速く走ることができました。彼女は特に体育の授業が好きでした。大きくなったら体育の先生になりたいと思っていました。6年生のとき,学校の運動会のリレーチームのメンバーに選ばれました。彼女はとても喜びました。
運動会の約1か月後、禎子は突然病気になりました。医師たちは彼女の病気は原爆が原因だと考えました。「彼女が1年以上生きることは難しいだろう」と1人の医師が禎子の両親に告げました。

p43
病院で禎子は折り紙の鶴を受け取りました。彼女は「千羽の鶴を折れば病気がよくなる」という風習を思い出しました。それでたくさんの折り鶴を作りました。鶴に健康回復の願いごとをしたのです。彼女は希望を失いませんでしたが、二度と病院を出ることはありませんでした。禎子の人生はわずか12歳のときに終わってしまったのです。
禎子が亡くなったあと、友人たちにとって彼女の死は受け入れ難いものでした。そこで友人たちは禎子の像を建てました。像はいまでも広島の平和記念公園にあります。毎年、世界中から多くの人々が広島に折り鶴を送っています。折り鶴は禎子のためでもあり,平和のためでもあるのです。



忘れちゃいけない物語。ちゃんと胸にしまっておこう。



p48
店員:いらっしゃいませ。
ラージ:このケーキをください。
店員:かしこまりました。包装いたしましょうか。
ラージ:お願いします。誕生会用なんです。
店員:何か他にございませんか。
ラージ:箱の中にこのカードを入れてくださいませんか。
店員:かしこまりました。



えらいぞ、ラージ!



p49
「イルカの物語」


一頭のイルカが海岸に横たわっていました。傷つき死にそうでした。
ソーヤーは海岸沿いを自転車で走っていました。
彼はひとりぼっちでした。彼のお母さんは仕事で忙しくしていました。彼は学校の成績はかんばしくありませんでした。夏の特別な補習授業を受けなければなりませんでした。

彼は突然止まりました。イルカが目に入ってきたのです。

ソーヤーは電話をして医者を呼びました。待っている間、ソーヤーはイルカに話しかけ、口笛で呼びかけました。イルカは弱々しく鳴きかえしてきました。救急車が到着し、動物病院へと運んでいきました。

p.50
病院の人たちは「名前がいるな、ウィンターと呼ぼう」と言いました。

ソーヤーは時々授業に出る代わりに病院へ行きました。ある日、病院の職員がウィンターに薬を与えようとしました。ウィンターは飲もうとしませんでした。そのとき,ソーヤーがやってきました。彼は、イルカに触れて、口笛を吹きました。ウィンターは落ちつき,薬を飲んだのです。

このようなことがあり、病院の職員はソーヤーとウィンターとの特別な関係に敬意をもつようになりました。今度は、彼が、夢中になれるもの —ウィンターを救うこと— を見つけました。

p51
ウィンターの尾ひれの状態がかなり悪化してきました。医者は尾ひれを切断せざるをえなくなりました。ウィンターは死んでしまう恐れがありました。ソーヤーは、多くの時間をウィンターと過ごしました。学校のある時間でさえも。

最初は、ソーヤーの母は、学校を欠席しているソーヤーに怒っていました。彼がウィンターに夢中になっている気持ちが理解できませんでした。その後、彼の母は、ソーヤーとウィンターが一緒にいるところを見ました。そしてついに、彼の気持ちを理解し、支援するようになりました。

ソーヤーはウィンターを救うために懸命に努力しました。彼は、技師に「ウィンターに尾ひれを作ってあげてください」と頼みました。技師は2種類の尾ひれを作りました。プラスチック製でした。しかし硬すぎて簡単には使いこなすことができず,ウィンターは嫌がりました。そして尾ひれを壊してしまったのです。

p52
病院がウィンターを救うためには資金が必要でした。ソーヤーは「ウィンターを救おう!」という催しを企画しました。たくさんの人たちがやって来ました。ウィンターのように,障がいのある人たちもいました。

催しでは、ウィンターは改良された尾ひれを使って初めて泳ぎました。気に入ったようです。ウィンターはソーヤーに寄り添って泳ぎ、彼に向けて元気よく鳴きました。ウィンターはソーヤーの情熱と行動によって救われたのです。

ソーヤーの母は彼を抱きしめました。病院での彼の新しい友達も彼に声援を送りました。ソーヤーは、もう一人ぼっちではありませんでした。



実際のお話がモデルになっているんですよね。突然のモーガンフリーマンにビックリしますが、いいお話。夏の補習も役にたつということですね(違う)。



レッスン5 Places to Go, Things to Do



p54
これは、アジアの家を紹介する本です。

これは、ゲルといって、モンゴルの伝統的な住まいです。モンゴルには、季節とともにゲルを移動させる人たちがいます。
この生活様式は興味深いものがあります。それで、私はモンゴルを訪れてゲルに泊まってみたいです。



さすが行動派の久美さん。




3-5-2 p.56
これは、ジョージ・ルーカスによって制作された映画です。彼は、世界で最もおもしろい映画を何本も作った監督です。僕は彼の映画のファンです。
僕はハリウッドに行き、映画の作り方を学びたいです。



さすが僕のお気に入りのラージさん。いつかサインもらおう。



p58
私は、ケニアに行きたいです。
これは、ケニアから届いた絵はがきです。おじさんが私に送ってくれました。ここにはケニアで見ることのできる動物が写っています。
みなさんはこれらの動物を野生で見たことがありますか。野生の動物を見るのはきっと素晴らしいに違いありません。



メイリンさんもしっかりしてますね。そして動物とビル、すごい。



p60
「ブラジル」


僕はブラジルに行きたいです。僕はブラジルでやってみたいことが3つあります。
第一に、僕はサッカーが好きです。いえ、サッカーを愛しています。多くのブラジルの人も好きなスポーツです。過去数年間で、ブラジルは2つの主要なスポーツ大会を主催してきました。2014年のサッカーワールドカップと2016年のオリンピック・パラリンピックです。これらの大会で、われわれは、ブラジルの人が、スポーツ、特にサッカーを愛していることを知ることができました。だから、僕はブラジルに行きたいのです。僕はブラジルの人とサッカーをしたいです。

p61
第二に、僕はリオデジャネイロのカーニバルを体験してみたいです。リオのカーニバルは、毎年、たいてい2月に行われる有名なお祭りです。200万人を超える人が、毎日行われるイベントに参加します。カーニバルのハイライトは、サンバパレードです。200以上のチームがパレードに参加します。それぞれのチームが美しい衣装と山車を作ります。それらはそれぞれのチームが選んだ特別なテーマに基づいています。テーマは歴史や自然が由来のものだったりします。メンバーの中には、刺激的なサンバの音楽にあわせて踊る人もいます。僕は彼らといっしょに踊ってみたいです。

p62
最後に、僕は日系ブラジル人の方々と話をしてみたいです。約100年前に、よりよい未来を望んで、多くの日本人が、日本をあとにしました。僕の祖母のおばもそのひとりです。彼女らは、新しい土地で、新しい人生を築くために,遠く離れたブラジルへ行きました。彼女らは多くの困難に直面しました。その困難に打ち勝つために必死で働きました。今では,約150万の日系ブラジル人がいます。僕は、そのうちの何人かにお会いして、その挑戦について話してみたいです。
なぜブラジルに行きたいか。簡単です。スポーツ、カーニバル、歴史があるからです。


健さんもさすがですね。なんだか一年生から追っていると成長を見ている感じ。ちょっとグッときます(僕だけ?)。サインもらおう。




レッスン6 I Have a Dream



p70
ポール:これは1962年に撮られた写真なんだ。
久美:それがどうかしたの?
ポール:水を飲んでいるこの男性たちを見て。それはアメリカ合衆国史の暗い側面を物語っているんだよ。
久美:アメリカ合衆国史の暗い側面?私には理解できないわ。
ポール:もっと説明してあげるよ。
久美:わかったわ。

p72
きみに伝えたい話があるんだ。

ある日、黒人女性のローザ・パークスさんが、バスに乗っていたんだ。彼女は「白人専用」の区域の近くに座っていたんだ。すぐにその区域はいっぱいになり、運転手が言ったんだ。「席をゆずれ、さもないと警察を呼ぶぞ」と。「いやです」と彼女は言ったんだよ。

警察がやって来て、彼女を逮捕したんだ。

p74
「私には夢がある」


1955年当時には、アメリカ合衆国の黒人たちが法律の下でできないことがたくさんありました。彼らが使うことができないトイレがありました。彼らが使うことができない水飲み場がありました。彼らが使うことができないバスの座席がありました。

これらの不公平な法律が多くの人々を不快にさせました。その一人がマーチン・ルーサー・キング・ジュニアでした。彼はアラバマ州モンゴメリーでのパークス婦人の逮捕のことを聞きました。彼は言いました。「もうこれ以上我慢できない。運動をおこそう。誰もがどのバスのどの座席にも座れる権利を求めてたたかおうではないか。我々は決してあきらめない」

p75
彼は正義のためにたたかっているその町の人々を先導しました。彼らは平和的な方法でたたかいました。彼らは市バスに乗ることをやめました。仕事や学校へ歩いて行く人もいました。車に分乗する人もいました。たくさんの人々が運動に加わりました。中には白人の人たちさえもいました。彼らのたたかいは1年以上も続きました。そしてついに彼らは法律を変えたのです。黒人たちはどこにでも自由に座ることができるようになりました。さらに何年もの間、彼らは他の法律も変えるために一生懸命活動しました。

1963年、20万人以上の人々がすべての人の正義を支援するために、ワシントンD.C.に集まりました。キング牧師はリンカーン記念館の階段で素晴らしいスピーチを行いました。彼によって話されたことばを紹介します。

p76
「私には夢がある。私の4人の子供たちがいつの日か、肌の色ではなく、人物の中身によって判断されるような国で暮らすという夢が。今、私には夢がある」

「私には夢がある。いつの日か、我々の幼い黒人の少年少女が、幼い白人の少年少女と、姉妹そして兄弟として手をたずさえることができるようになるという夢が。今、私には夢がある」

1964年に、キング牧師はノーベル平和賞を受賞しました。4年後、彼は撃たれて殺されました。彼は亡くなりましたが、正義のためのたたかいは続きます。彼の夢は生き続けています。



英語の教科書といえば、I have a dream.これもやっぱり伝え続けていかなければいけないお話。



p83
エマ:おはようございます、田中さん。
田中さん:おはよう、エマ。ほとんど準備ができたよ。
エマ:とてもいい匂いがしますね。
田中さん:スクランブルエッグはいかが?
エマ:はい、お願いします。
田中さん:それにジュースもどう?
エマ:ありがとうございます。



ここにきて突然の久美パパ登場。めっちゃやさしい。




レッスン7 English for Me



p88

マリア、フィリピン

私は海外で勉強したいです。私の両親は、私にはまだ早いと思っています。私は両親に、私の夢をわかって欲しいです。どうすればよいのかわかりません。



進路面談しましょう。



ボリス、ロシア

僕は音楽家になりたいです。僕は音楽を作るのに、コンピュータを使うつもりです。でも両親は、僕に医者になって欲しいと思っています。両立できる方法を見つけられるでしょうか?



進路面談しましょう。



p90

ムカミ、ケニア

私は科学者になって、宇宙に住む方法を見つけたいです。私の夢がいつ実現するのかわかりませんが、きっと実現すると思います。私は自分がそうできると信じています。

久美、日本
私は、私たちにはなぜこんなに無駄が多いのか、不思議に思います。私たちは物を多く買いすぎだと思います。無駄を減らすために、より少なく買い、その上で買ったものは、それをリサイクルし、再利用すべきです。



ついに久美さん、テレビに登場。一人だけ少し毛色の違うお話を。なぜ。



p92

医師

私は医師です。私が情熱を向けていることは人々を助けることです。日本では、私はあまりに忙しすぎて,自分の情熱を維持することができませんでした。そんな時、テレビで難民の子どもたちについての番組を観ました。それは、私に情熱を思い出させてくれました。そこで、私はボランティアグループに参加しました。
私は深刻な健康問題がある場所に行きました。そこで私は患者と話をしました。私は現地および他国から来ているスタッフと仕事をしました。
意思疎通が難しかったこともよくありました。皆の善意と努力があり、私たちは英語を使うことで乗り切りました。
英語は、私が命を救うのを後押ししてくれます。私は情熱を取り戻しました。今では私は「国境のない医師」になり、そして「国境のない言語」を使っています。

p93

農家
私は新潟の米農家です。学生だった頃は、英語は絶対に使わないだろうと思っていました。
ところが昨年の6月初旬、ドバイのある人からメールを受けとりました。彼が何を求めているのか、私にはわかりませんでした。
まず、娘に頼んで、メールを読むのを助けてもらいました。メールの中でその男性は、「あなたの田んぼの米と他の米を比べました。あなたの田んぼの米は、特別な味がします。まさにあなたの田んぼの米を、私のレストランで使いたいのです」と言っていました。
今は私の英語は上達しました。英語は毎週使っています。メールを読んだり書いたりします。英語は私にとっても、家業にとっても、とても重要です。

p94
大学生
私は日本で工学を勉強しています。私は日本語も英語も使いますが、それぞれ、使う目的が異なります。日常生活では、他の学生や教授の先生方と日本語で話します。日本語は簡単で便利です。
私の専門の世界では、英語を使います。工学の最新情報を得るために、世界の専門家たちが書いた研究レポートをたくさん読みます。そのほとんどが英語で書かれています。それに加えて、私自身の研究についても、他の人に知って欲しいと思っています。そのため、私は時々、国際学会で発表をします。日本の学会であっても、英語が学会での言語です。
つまり、私が使う言語は状況や目的によるのです。選択できるのはいいですね。あなたはどう思いますか?


僕もそう思います。


最後のレッスンにふさわしい、英語のお話でした。


p99
健:健です。ポールをお願いします。
グリーン夫人:残念だけど、今、犬の散歩に行っているわ。
健:そうですか。電話するように伝えていただけますか?
グリーン夫人:いいですよ。ポールはあなたの電話番号を知っているわよね?
健:知っているはずです。
グリーン夫人:了解。ポールに伝えておくわ。
健:ありがとうございます。


何の用だろうか。


その前のSpeakの単元も面白いので、ぜひ教科書で確認してみてね。



We Can Change Our World



p104

「私たちにも世界は変えられる」

多くの少年たちがそうであるように、ウィリアム・カムクワンバさんは模型の車を作るのが好きでした。放課後には友達と遊び、夜にはお話を聞くのを楽しみにしていました。ウィリアムがいちばん好きだったのは、ライオンとヒョウについてのお話でした。それらは、アフリカ大陸の南東に位置する小さな国、彼の生まれ故郷、マラウイの動物たちでした。


マラウイにはとても貧しい村がいくつかあります。ウィリアムはそんな村に住んでいました。彼の村には電気がありませんでした。人々は石油ランプを使わなければなりませんでした。石油はとても高価なものでした。お金を節約するために、ウィリアムと彼の家族は日が落ちたら寝るという生活を送っていました。そのため、夜には勉強することが出来ませんでした。

p105
ウィリアムは中学校に通い始めました。彼は勉強が大好きでした。しかし学校に通うためには制服や本が必要で、ウィリアムの家にはそれらを買えるだけのお金がありませんでした。やむなく彼は退学しました。

ウィリアムは、毎日、父と一緒に畑仕事をしましたが,学ぶことを決してあきらめはしませんでした。図書館に行って本を読むのが好きでした。ウィリアムは自分と家族が、よりよい生活ができることを望んでいました。世界を変えるために、一人の少年に何ができたのでしょうか。

p106

ある日、ウィリアムは本で風車の写真を目にしました。彼は「もし風車を作れば、風を使って電気を作ることができる」と考えました。木のかけら、古い自転車、ビンのふた、使用済みの針金などを集め始めました。風車を作ることは彼にとって未体験のことでしたが、必ず作ることができると信じていました。


ついに彼の風車の準備が整いました。風車の高さはおよそ5メートル、彼の家のとなりに立てられました。彼は風車のてっぺんに登り、最後の2本の針金を接続しました。風車が回りだすと、小さな灯りが光り始めました。うまくいった!彼の家族はついに電気を手に入れたのでした。夜であっても起きて仕事をしたり、勉強したり、遊んだりできるようになりました。

p107
たくさんの人々が彼の風車を見にやって来ました。みんなウィリアムに非常に感銘を受けました。彼はわずか14歳の少年で、学校にも行っていない、どうやって風車を作ったのだろう、と。

あるインタビューでウィリアムは風車について語り、「私は挑戦する、そして完成させた」と言いました。彼の英語は多少ぎこちなかったけれど、そのメッセージは明確でした。このことばで、彼はアフリカで、そして全世界で、多くの人々にとっての英雄になりました。人々のサポートを受けて、彼は学校に復学し勉強を続けることができるようになりました。

まさにウィリアムがしたように、私たちは世界を変えることができます。自分自身を信じて、挑戦し続ければ必ず変えることができるのです。



その通りだと僕も思います。次に世界を変えるのは、君かもしれない。




The Story of Nshikori Kei



p108

「錦織圭物語」


「ゲーム、セット、試合終了」

この言葉と同時に、新しいチャンピオン、錦織圭は世界のテニス界に登場したのです。わずか18歳でした。

全力を尽くそう
私のテニス人生は、父が買ってくれたテニスラケットとともに、島根県松江市で始まりました。5歳のときでした。父が私の先生でした。少しずつ技術が向上し、この競技に対する関心が高まりました。小学校の卒業文集には、「まず日本一の、そして世界一のテニスプレーヤーになりたい」と書きました。
練習に練習を重ね、多くのジュニア大会で優勝しました。こうして、私が大好きなスポーツでの成功を手にしました。
私が皆さんにアドバイスできることは、スポーツでも、教科でもどんな活動でもいい、何か好きなことを見つけてほしい、ということです。そして、それに取り組む時には、全力を尽くしてください。

p109
勝とうという意志
私はとても内気で物静かですが、一度コートに立つと、それらは消え去ります。勝つためにプレーをするのです。これまでいつもそうしてきました。子どもの頃でさえ、私にとってテニスは単なるゲームではありませんでした。その頃、試合に負けると泣いていました。でも、泣くだけでは解決にならないことをすぐに学びました。

13歳のとき、私はフロリダにあるテニスアカデミーに行くことを決めました。1日8時間以上練習しました。年上で、強くて、大きい、そして上手な選手を相手にたたかいました。たくさんの負けを経験しました。でも負けるのは大嫌いでした。試合に負ければ負けるほどますます、次の試合では勝ちたいとますます強く思うようになりました。勝とうという意志が私を勝利へと導いたのです。

p110
メッセージを伝えよう
アメリカへは、最初何人かの日本人の仲間と行きました。しかし彼らは約1年後に帰国し、私は話す相手がいなくなり、ホームシックになりました。でも、決してくじけたりしませんでした。
英語はあまりうまく話せませんでしたが,コーチと話そうという気持ちは決して失いませんでした。たとえば、自分のサーブにこめられた意図をコーチに伝えたかったのです。もっとうまくなるために、彼らからアドバイスをもらいたかったのです。
私は英語でミスをすることを決して恐れませんでした。むしろ自分のミスから学びました。こうした、前向きな態度がよい結果をもたらしたのです。何か言いたいことがあるのであれば、伝えようとし続けることです。そうすればあなたのメッセージは相手に伝わるでしょう。

p111
幸運は苦難の後にやってくる
大会で初めて優勝した後は、プレッシャーが激しくなりました。私はスランプに陥り、けがをし、体調も万全ではなくなりました。そのとき、私が小学校時代に書いた「幸運は苦しいことを経験して初めてやってくる」というメモを、母が思い出させてくれました。そして、この全ての試練は贈り物だと思うようになったのです。

その後、私のものの考え方や見方は変わっていきました。試合で幸運なきっかけをつかんだときは、積極的にそれらを活かすようにしました。その年の終わり、男子プロテニス協会の「最優秀新人賞」に選ばれました。

『あなたの夢を実現させてください』
錦織圭



エアケイの写真が素敵。素晴らしいメッセージでした。




A Vulture and a Child



p112

「ハゲワシと子ども」

スーダンはアフリカ北東部の大きな国です。大きな将来性のある国ですが、大きな問題も抱えています。


長年にわたり、スーダン国民は戦争と飢えに苦しんできました。ケビン・カーターは写真家としての仕事をするために、その地を訪れました。彼は世界の人々にスーダンの問題を見てほしかったのです。

ある日、カーターは地べたにうずくまる子どもを見かけました。なぜその子どもがそこにいるか、彼にはわかりました。その子はあまりに空腹で動けなかったのです。突然ハゲワシが現れ、少女に近づいていきました。彼は写真を撮りました。その写真は世界中の新聞に掲載されました。彼はそれによりピューリッツァー賞を獲得しました。

p113
初めは、これは良いことのように見えます。この写真は世界中の人々に衝撃を与えました。人々は、スーダンの人たちが直面する問題に気づくようになったのです。世界中の人々が彼らを援助できるようになりました。スーダンの人たちも自分たち自身を救えるようになりました。多くの飢えた人々が、必要な食料を手に入れることができました。このような見方をすれば、この写真と写真家は、なすべき仕事をしたということになります。多くの命が救われたのです。

別の見方もあります。写真は確かに衝撃的でしたが、写真家の行動も衝撃的でした。あの子どもは弱って死にかけていました。助けを必要としていました。それなのに写真家は、すぐに子どもを助けるのではなく、写真を撮ったのです。これは間違っています。彼も、そして私たちも、どんなときでも、困っている人々を助けるべきなのです。

カーターは、自分の仕事をするか、子どもを救うか,どちらか一方に決めなければなりませんでした。彼は仕事をするほうに決めました。あなたは彼の決断をどう思いますか。あなたなら、どうしますか。



考えさせられますね。でも、その考えるってことがきっと大事。答えはないかもしれないけれど、考えたこと自体がこの先につながっていく。さぁ、考えよう。




Jimmy Valentine



最初ボビーバレンタインかと思ったのですが、そんな勘違いをよそに素敵な物語でした。これも、考えさせられる衝撃のラスト。


p114
「ジミー・バレンタイン」


金庫破りで刑務所に入って4カ月の後、ジミー・バレンタインは釈放されました。その後ほどなく、その地域で数か所の金庫が破られました。ある店主は新型でより頑丈な金庫を買いました。その翌朝、彼は金庫が開けられ空になっているのを発見しました。
ベン・プライス警官は、これらの事件を捜査して,「これはジミーの仕業だ。何が何でもやつを捕まえてやる」と思いました。

ジミーは、警察が自分を追っているとわかっていました。だから彼は頻繁に住む所を転々と変え、新しい所に行っては、金庫破りをしました。
そして彼はエルモア市にたどり着きました。

p115
エルモア滞在中のある日、彼は通りを歩く一人の女性に会いました。二人の目が合った、その瞬間、彼は新しい人生を始めようと決意しました。金庫破りとして彼の人生は、過去のものとなりました。

ジミーは靴屋を開き、何カ月もの間、熱心に働きました。彼はその町で新しい友人をたくさん作りました。人々は彼を尊敬していました。彼はあの女性、スーザン・アダムズとも親しくなりました。彼女の父親は、その町の銀行家でした。ジミーは彼女に結婚を申し込み、彼女は了承しました。二人一緒の生活が始まろうとしていました。

p116
スーザンの父、アダムズ氏は、彼の銀行に置く新しい金庫を購入しました。彼はその金庫をとても自慢に思っていました。ある朝、彼は家族とジミーを銀行に連れて行き、金庫を見せました。彼の幼い孫たちは、金庫の周りで遊んでいました。
ちょうどそのとき,ベン・プライスが銀行に入ってきました。彼はジミーを見て、「とうとう見つけたぞ」と思いました。彼はジミーの方に向かって歩き始めました。

突然、スーザンが悲鳴をあげました。彼女は金庫を指さしました。金庫の扉が閉まり、孫の一人が中に閉じ込められてしまったのです。重厚なドアを通して、少女のかすかな声が聞こえました。
「どうにもしようがない。私でさえ扉を開けることはできないのだ」とアダムズ氏は言いました。「それに、金庫の会社は数時間もかかる場所にある。」
スーザンはジミーのほうを向きました。「何かできることはある?」

p.117
ジミーはスーザンを見て、悲しげに微笑みました。「スーザン」と彼は言いました。「僕は自分に一つ誓いを立てた。でも、それを破ることにするよ。愛しい君のために、ただ君のために」
彼は金庫のほうを向きました。彼にかつての技術がよみがえってきました。10分後に扉は開き、少女は家族の腕の中に帰ってきました。

正面玄関に向かって歩いているとき、ジミーにはスーザンの声が聞こえました。彼はふり返りませんでした。彼のエルモアでの生活は終わったのです。
玄関にはベン・プライス警官が立っていました。「さて」とジミーは言いました。「ついに僕を捕まえましたね。行きましょうか」
ベンはゆっくり、しげしげとジミーを眺めました。「あなたは勘違いされていると思いますよ。私はあなたを存じあげないと思います。それより、あの若いご婦人があなたを呼んでいますよ」
ベン・プライスは向きを変え、銀行を後にして、通りを歩いていきました。



「え!捕まえないの!」という方も、「いいお話だ」とする方もいるでしょう。あなたはどう考えますか?


さぁ、いよいよ最後のプログラムです。



Japan, an Amazing Country



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「すばらしき国、日本」

日本には、あらゆる人向けに、何かがあります。歴史的な城や寺や神社もあります。どんな趣味の旅行者にも合う工芸品があります。
日本訪問でどんなことに期待しますか。

インフォメーション
位置:東アジア
首都:東京
人口:1億2,600万人
通貨:円
言語:日本語

<おすすめの行先>
たこ焼き(食べ物)
大阪の人々はおいしい食べ物が好きです。食べてみてほしい食べ物はたこ焼きです。それは、ボールのような形をした小さなパンケーキです。中にタコが何切れか入っています。食べてみてください。


東照宮(歴史)
東照宮は日光国立公園内にあります。将軍徳川家康を祭る神社です。神社には鮮やかな赤や金色の建物や美術品が多くあります。東照宮を散策して、悪行を見ざる、聞かざる、言わざるの猿たちを見つけましょう。


屋久島(自然)
屋久島で見られる自然は別格です。樹齢千年を超える巨木が、森にそびえ立っています。エコツアーに参加して、自然の驚異を見てください。雨が降れば、コートを借りることができます。

鵜飼い(観光)
夜になると,鵜匠と鵜が舟に乗って長良川に浮かびます。鵜が送り出されます。水しぶきと束の間の格闘があり、鵜は捕った魚とともに鵜匠のもとに戻ってきます。

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<すばらしき日本>

ハイテク便器
トイレに入ると、この便器はふたを開け、心地よい音を流して、あなたを迎えてくれます。便座は温かく、用が済むと、ふたが閉じる。一般の家庭やホテル、デパートでこのような便器を見かけることがあるでしょう。
高度な技術は日本の日常生活の一部になっています。

温泉
日本には数多くの天然の温泉と2,000を超える温泉地があります。多くの温泉地では、そこのお湯が健康に良いことをうたっています。そのどれもが、リラックスするのに良い場所です。美しい景色を楽しみながら、温泉の中に腰をおろしてみてはいかがでしょう。
箱根の温泉街は、東京から電車で90分たらずの場所にあり、毎年何百万人もの人々が訪れます。


マスコット
日本の都道府県や市町村の多くは、かわいいマスコットを持っています。マスコットはたいてい、その土地に関連しています。たとえば、今治市のマスコットの帽子は、地元の橋に似ています。1つ買って家に持ち帰りたくなると思います。
今治市のマスコット、バリィさんは、最も人気のあるものの1つです。


花火
夏には、何百万人もの人々が、日本中の町で開催される花火大会を見に行きます。同時に、多くの人々は、自分でも小さな花火をして楽しみます。夏に来るなら、ピカッという光やバンという音を楽しみましょう。
長岡の花火大会は、毎年夏に約百万人もの見物客を魅了しています。




最後は日本のお話でした。まさかの便座にゆるキャラ。


まぁ、3年生の教科書は使える単語も文法も増えたからか、あんまり突っ込みどころがなく、後半は感動しっぱなしでしたね。


この後の付録も面白いので、生徒の皆さんは是非ご確認を。


教科書を楽しみ尽くしましょう。



本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。

それは君の一番の味方。




「第二の家」ブログ|藤沢市の個別指導塾のお話

塾という場所が好きです。生徒の成長する姿を見るのが好きです。生徒や保護者と未来の話をするのが好きです。合格や目標を達成して一緒に喜ぶのが好きです。講師と語り合うのが好きです。教材とにらめっこするのも好きです。新しい人と出会うのも好きです。藤沢の街が好きです。ブログも、好きです。

勉強犬

「第二の家」学習アドバイザー。
世界中に「第二の家」=「子どもたちの生きる力を育てる場所」を作ろうと画策中。過去に3000人以上の生徒の個別指導経験を持つ。元広告営業犬。学生時代は個別指導塾の講師。大手個別指導塾の教室長(神奈川No,1の教室に!)・エリアマネージャーを経て、2015年ネット上で「第二の家」HOME個別指導塾を開設。

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