どちらかといえば、彼女は勉強が苦手だった。
小学校のテストでも100点はなかなか取れない。図形は嫌い。文章を読むのも嫌い。
そんな彼女が、5年生になったタイミングで、「聖園女学院に行きたい」と言った時、一番驚いたのは親であった。
「なんで急に」第一声はそれだった。
「聖園の人、格好いいから」彼女は目をキラキラさせて言った。
「勉強、大変になるよ?」恐る恐る親は彼女に聞いた。
「大丈夫」と彼女は間髪入れずに答えた。その間のなさが逆に怖かった。
あまりにも彼女が頑固だったので、親はすぐに塾を探し、近隣の個別指導塾に通い始めた。親は不安で教室長に尋ねた。
「今からで間に合いますか?」
室長は答えた。
「絶対に間に合わないということはありません。何度か授業を見させていただければ、もっと詳しいことが言えると思います」
面談席にあった中学受験の資料には、中学受験をする条件は「勉強に躓いていないこと」「勉強が嫌いでないこと」「学習習慣があること」と書いてあり、「うちの子全部ない」と親はさらに不安になった。
通塾がスタートした。状況はあまり良いとは言えなかった。中学受験には特殊算など教科書内容以外の学習が必要になるが、まず彼女にはその教科書内容の理解が必要だった。
苦しい日々は続いた。当たり前だが、偏差値もなかなか上がらなかった。
高校受験や大学受験と違い、中学受験をする子はクラスの中でも少数派だ。遊びたい盛りの小学生。難しくて辛い受験勉強よりも魅力的な遊びの誘惑に負けてしまう子も大勢いる。
実際に親は「その時が来たら受験をやめる」と決意していた。室長からも「そこが一番のポイントです。覚悟がなくなったら、合格は難しいと思います」と言われていた。
でも、彼女は「やめる」とは言わなかった。
どんなに難しい宿題が出されても、いくら仲のいい友達に誘われても、わからなくて泣きそうになっても、というか泣いても、決して覚悟を捨てなかった。
あとは時間との勝負だった。週に3日だった送り迎えは、今や毎日のものになっていた。塾では特製の問題集が作られ、授業と自習の時間が学校と生活以外のほとんどになった。
そして、勝負の冬がやってきた。中学受験には連続で受験できる仕組みがある。それを活用することにした。聖園女学院一本だ。
一日目、残念ながら結果は伴わなかった。彼女は悔しくて泣いた。親も「やっぱり駄目か」と落胆した。教室長は「まだまだここからです」と言った。
しかし、その後も結果は奮わなかった。親の心の中で「やっぱりね」という思いが強くなっていった。模試もいい時はあったけど、やっぱりね。私自身も勉強が得意じゃなかったし、やっぱりね。結果が良くなかったとしても、ここまで頑張った我が子をすごくすごく褒めてあげようと思った。勉強はもちろん大事だけど、あなたが元気で居ることのほうがもっと大事よって伝えてあげようと思った。
ただ、結果は「やっぱりね」とはいかなかった。最後の結果を伝える日。塾のその電話が鳴ったとき、教室長や講師たちにも緊張が走った。そこから絞り出されるようにして放たれた一言は、教室が湧くには十分すぎる内容だった。
「補欠合格しました」
無事に繰り上げも決まり、彼女は晴れて聖園生となった。
そういえば、と親は思った。初めて塾に彼女と行った日、室長にも「どうして聖園に行きたいって思ったの?」と訊かれて、彼女は言った。
「聖園の人、いいなって思ったの」
そういえば、彼女は何を見ていいなって思ったんだろう。制服かな。雰囲気かな。志望動機はその後じっくり考えたけど、一番最初のきっかけは何だったんだろう。
合格した今、親は改めて彼女に聞いてみることにした。
「ねぇねぇ、一番初めってさ、なんで聖園がいいって思ったんだっけ?」
自然な素振りで聞いてみた。彼女の本音を、ちゃんと聞けるように。
彼女は何を今更って感じで答えた。
「え?だってお母さんが言ったんだよ。あんな風なお姉さんになれたらいいねって」
そうだった。一瞬で記憶が蘇る。二人で歩いていた帰り道、たまたま聖園の生徒を見かけて、私は本当何の気なしにそう言ったんだ。
沢山のありがとうとか、ごめんねとか、愛してる!とか、驚きとか、何だか色んな感情が一気に押し寄せてきて、涙が溢れた。「なんで泣いてるの」と笑う彼女を目一杯抱き締めた。やっぱりね。うちの娘は、最高だ。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
聖園の文化祭、一人で行って止められたのが懐かしい(講師と合流して入れました)。
受験生には、ドラマがある。物語がある。主人公は、君だよ。そしてその物語はずっと続いていく。
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