「盗んだのは、絆でした」
帯に書いてある一文と、その横に笑顔で写る家族に目を奪われました。
駅の本屋で衝動買い。でも、後悔一つない会心の一作でした。カンヌでパルムドールを受賞するなど話題の映画のノベライズ本、『万引き家族』を読みました。
第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門にてパルムドール賞を受賞した最新作『万引き家族』を 是枝裕和監督自ら小説化。是枝監督が小説で描き出す、「家族の絆」とは―――。 「彼らが盗んだものは、絆でした」 とある住宅街。柴田治と息子の祥太は、スーパーや駄菓子店で日々万引きをして生計をたてていた。 ある日、治はじゅりという少女が家から閉め出されているのを見かねて連れて帰ってくる。 驚く妻の信代だったが、少女の家庭事情を案じ、 一緒に「家族」として暮らすことに。 年金で細々と生きる祖母の初枝、信代の妹・亜紀。6人家族として幸せに暮らしていた。 しかし、ある出来事を境に、彼らの抱える 「秘密」が明らかになっていく―――。
『誰も知らない』や『海街ダイアリー』等の作品で色んな家族の在り方を描いてきた是枝監督の最新作。『そして父になる』のノベライズもすごく良かったんですよね。
何がいいって、映画では語られない主人公たちの心の内が、小説ではしっかりと描かれているのです。本を読んだ後、映画を見るも良し。その逆もまた然り。一粒で二度美味しいってやつです。
タイトル的にも、文中の表現的にも、生徒たちにオススメするのはまだ少し早いかなという感じでしたが、ぜひとも保護者の方々に読んでほしいということで紹介することを決めました。
まぁ、なんたってタイトルが『万引き家族』。要は『犯罪者家族』です。中身はとっても考えさせられるいいお話なのですが、描写が細かくリアルだからこそ、まずは大人の方に読んで欲しい。そして是非についてよく考えて欲しい作品です。あ、万引きのじゃないですよ。この物語についてです。そして、時間の許す限り語り合いたいですね。
ネタバレにならないようにもうちょっとだけ。前述した『そして父になる』でもそうでしたが、私、是枝監督の文章も好きなんですよね。
「そこ物語とあんまり関係なさそうだけど、けっこう細かく書くよね」って描写が所々に在って、それも含めた淡々としたわかりやすい説明の中に、ふと奇跡のような台詞が入ってくる。だからこそ、ずしんと心に響きやすいわけです。
それにしても、ノベライズ本だけ、にすでにこちらが各々のキャラクターのイメージを明確に持っているのは大きいですよね。すでにビジュアルを目にしているからこそ、脳内で再生が余裕で、より深く物語に引き込まれた感じがします。
そういや最近読んだ本でも大泉洋さんを当て書きした『騙し絵の牙』もすごかったからなぁ。ノベライズに関わらず、今後こういう手法は増えていくかもしれませんね。
映画が気になっている方も、元々本狙いのあなたも、ニュースで知って興味を持ったミーハーな君も(私も)、読んで一緒に考えましょう。家族とは、何か。幸せって、何か。
以下、ネタバレの感想文です。ぜひ読み終わった後に御覧下さい。ちょっとでも目に入ってしまうといけないので、関係のない私、勉強犬のオフショットの画像を載せておきます。
『万引き家族』のラストはハッピーエンドだったのか
これは、紛れもなく家族の物語だ。
血の繋がりはなくとも、最初は他人同士でも、そして、それがたとえ盗んだものであったとしても。
これは、家族の物語。
その物語は、家族がひとり増えるところから始まり、一度終わるところまでが描かれる。
お父さん役の治の寂しさと、お母さん役の信代の強さと、おばあちゃん役の初枝の別れと、信代の妹役の亜紀の戸惑いと、子ども役の祥太の未来と、ひとり増える役のりんの願い。
ある事件を境に家族は散り散りになり、各々の物語は終りを迎える。もう会えない。もうつながれない。もう話せない。もう手を繋げない。
他人同士の家族ごっこは、「万引き家族」は、終りを迎える。最後のページを読んだ僕は、静かに本を閉じて、なんだか無性に寂しくなる。またあの家族に、会いたくなる。
そして、ふと気付く。
そういえば、家族に終わりってあるのかな。
「万引き」は犯罪である。もちろん許されることではない。お父さん役の治はそんな倫理観など微塵もないダメ親父。それを知っていながら、恩恵にあやかる家族もまた同罪だろう。
この家族は罪を重ねて生きる。でも、そこに確かな幸福がある。なんでもない生活の中に、あたたかさや笑顔がある。お金にも困っているけど、貧困に負けないたくましさもある。
いつしか子ども役の祥太はその罪の重さに気づき、変わろうとする。そして、父にも変わってほしいと望むようになる。そのために本気になる。それは、すでに二人が他人ではない証ではないか。
もちろん手放しで「祥太偉いぞ」と褒められるわけではない。過去の罪は償わなくてはならない。でも、父親が仕事と称して万引きをさせていたり、「妹にはさせるなよ」とすべて知った上で注意をした駄菓子屋のじいさんの言葉で祥太が変わろうとしたように、子どもは良くも悪くも近くにいる大人次第なのかなとも思う。子どもは、大人を見て、大人になっていくのだ。
そして、その大人の代表格が「家族」なのだと思う。
冒頭の問いかけに戻ろう。「家族に終わりってあるのかな」。答えは、わからない。でも、僕はないと思う。その日々は、その過去は、その思い出は、たとえ記憶から消えたとしても、消えることはない。
一昨年に僕の祖父は大往生で亡くなったけれど、当たり前だけれど僕らは家族だ。勉強犬のモデルになったピースはこちらも14歳の大往生だったけれど、血の繋がりはもちろんないけれど、僕にとって大切な家族だ。きっとそれは、これからどんなに時が経ったとしても、少しも変わらないことだから。
治の中にも、信代の中にも、初枝の中にも、亜紀の中にも、祥太の中にも、そしてりんの中にも、「家族」としての何かが、確かに残っている。捨てても、忘れようとしても、たとえこの世界から消えたとしても、ちゃんと残っている。そして、いつかまたつながることだってあるかもしれない。誰かが、呼ばれたい名前を、誰かが、呼んでくれる日が、来るかもしれない。
罪は償って、いつかやり直せるはずなのだから。
余談だけど、一番の感動場面は、初枝ばあちゃんの「待ち人、現れるが遅し」からの「ありがとうございました」でした。もうちょっと深読みすれば、ばあちゃんは天国で会いたい人に会えたってことかな。うん、そうだといいな。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
僕は最後はりんにとってのハッピーエンドへつながっていると信じたい。でも、色んな意見がありそうですよね。早く映画も観たいです。
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