ノンバイナリー、ブレグジット、ポリティカルコレクトネス、ディケイド…
本の中に出てきた「なんとなく知っている言葉」や「知らない言葉」を調べながら読み進めていると、なんだかとっても賢くなった気がしてきました。
折角だから、読者の皆様に重要な事実をお伝えしましょう。大抵の場合、それは勘違いです。調べただけでは賢さは上がりません。すぐに忘れるので、忘れないうちにアウトプットすることを心掛けましょう。
というわけで、本を読んだ感想をここに書き記していこうと思います。ただ、言葉の意味よりももっと重要なことを。
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』の読書感想文
結構ハマった前作はこちら。
今作の著者ももちろん同じ方なので、文章の雰囲気などは前作と同じ感じ。そういうわけで、この本がどんなお話なのかや僕が大好きな会話や考え方については前回の記事をご覧ください。
ただ今回は、前作よりもお子さんが大きくなったということで、より難しい題材や問題提起が増えた気がします。
彼らを取り巻く答えがない問題。それに対しての、母と子と、そして配偶者の考えや会話がまた愉快だったり考えさせられたり。そんなこと考える機会もなくのほほんと暮らしてきた自分がやけにちっぽけに思えました。
もちろん、のほほんと暮らしてきたことが悪いことではないと思います。ただ、無知だなぁと思い知ったわけです。ネガティブにじゃないんですよ。そうだなぁ。あえて似た言葉を探すならカルチャーショックというやつでしょうか。
知らない場所に、知らない世界はちゃんと存在している。今の時代なんかその知らない世界を知ろうと思えばすぐに調べられるのに、今まで手を伸ばさなかった自分へのショック。だけど、同時に救いもありました。知らない場所に、知らない世界がちゃんと存在している。大切なことなので二回言いました。
もしも今、とてつもなく困難な状況や大きな苦しみを抱えている人がいたら、知ってほしい。それを捨ててしまったとしても、世界にはあなたの居場所は決してなくならないこと。
僕らの常識なんてものはもうひどくちっぽけで、それを丸ごと包んでしまったり、あるいはぶっ壊してくれたりするような世界は、ちゃんとある。
どんなあなたも、認めてくれる社会や、人が何処かにいる。そう知っておくだけで、なんだか強くなれる気はしませんか。しなかったらスルーの方向で。
兎にも角にも、この本は僕らにとって、笑って泣けるエンターテイメント物語であり、違う世界のことを学べる教養本であり、そして、我々が自分らしい人生を過ごすための勇気をくれる素敵な贈り物になることでしょう。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
今回で完結ということだけど、続いて欲しい。
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