勉強犬

「第二の家」学習アドバイザー。
世界中に「第二の家」=「子どもたちの生きる力を育てる場所」を作ろうと画策中。過去に3000人以上の生徒の個別指導経験を持つ。元広告営業犬。学生時代は個別指導塾の講師。大手個別指導塾の教室長(神奈川No,1の教室に!)・エリアマネージャーを経て、2015年ネット上で「第二の家」HOME個別指導塾を開設。

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ある心配性な受験生の、センター試験の物語

また、今年も雪が降った。余裕を持って早く出てきてよかった。あとから会場に来た友達に聞くと、予想通り、駅のバス停には長蛇の列ができていたらしい。そんなところで焦ると余計なエネルギーを使ってしまう。何かあるとすぐにお腹が痛くなる僕にとっては、いかにスムーズに会場に辿り着くかはとっても大事なことだった。やっぱり心配性なのかな。今日の朝、受験票や生徒証をちゃんと持っているか鞄の中を何度も確認したし、マーク用の鉛筆や栄養補給のためのバナナやチョコはだいぶ多めに持ってきたし、いきなり今日だけ早起きして身体がビビらないように、一ヶ月前から同じ時間に起きるようにしてきた。それに、お前どんだけ飲むんだよ、と突っ込みを入れながら水筒とペットボトルを持参。トイレが怖いから多分そんなに飲まないんだけど、気持ちは安定する。時計も壊れたときのことを考えて予備のものを持ってきた。温めグッズも完璧。備えあれば憂いなしだ。もちろん、マスクもしている。ここは菌とウィルスの巣窟だ。僕にとって、センター試験は始まりに過ぎない。いくら大事だからといって、ここで倒れるわけにはいかない。僕の受験は、人生は、続いていく。トイレにはもう2回行った。場所も把握して、万が一のときにも休憩時間に駆け込めるようにシミュレーションは完璧だ。人が少ないうちに教室の中をぐるりと回って、なんとなくのHOME感も醸し出しておいた。席の確認ももちろんオッケー。ちょうど真ん中ぐらいの位置だ。悪くない。前のホワイトボードもちゃんと見える。隣の人も普通の人そうで安心だ。もしもの場合(隣の人がうるさい等の場合)、手を挙げて監督の人に申し伝えるイメージもできている。遠慮なんてする気はない。僕は今一度周りを見渡して、一つ大きく息を吸って吐き出した。緊張している。でも、緊張は悪いことじゃないと塾の先生は言っていた。「緊張は、いいパフォーマンスをしようとしているってことだよ」そんな風に先生の大好きな木村拓哉が言っていたらしい。もう一度深呼吸。僕の近くには、心強い味方がいる。何度も、何度も、繰り返した単語帳や問題集たちだ。苦しかった日々は、頑張ってきた日々は、確実に今日の僕の心の支えになってくれている。さぁ、闘いのときだ。想像の中で僕は、天空へと堂々拳を掲げる。「今までの頑張りをぶつけてやろうぜ!やってやろうぜ!お前なら、大丈夫」自分の全細胞に向けて、強く前向きな言葉をかける。冷静さを失わぬように、静かに、やさしく、鼓舞する。現代文を教えてくれた先生がいつか言ってくれた言葉を思い出す。「僕らは神様じゃないから、予期せぬ事は起こるよ。君が予期してなかったら、周りに人も予期してなかったってことだから大丈夫。それに、そう知っておくだけで、手が止まらずに済むからね」これで手は止まらない。色んな人に助けられて、やっとここまで来た。きつくて、へこんで、挫折ばっかりの日々だったけど、成長感もある。その成果を、今日発揮するんだ。なんて風に思ったら、少し震えてきた。いけない、いけない。「会場に行って弱気が顔を出したら見ろよ」と友達から合格鉛筆と一緒に貰った手紙を確認する。「敵は自分だ。ベストを尽くせ」そうだった、これは誰かとの闘いじゃない。自分との勝負だ。なんだ、こんな弱っちい自分に勝つなんて、とっても簡単じゃないか。思わず笑みが溢れる。その笑みの向こうに、ふわんと母親の顔が浮かんだ。女手一つで、僕を育ててくれたお母さん。お金なんてないのに、塾にも行かせてくれたお母さん。夜遅くまで仕事なのに、早起きに付き合ってくれたお母さん。「駄目だったって死にゃしないんだから、気楽に受けておいで。だけど、食べなきゃ死ぬから、はいこれ」って、おにぎりをやっぱり多めにくれたお母さん。心配性は、遺伝かな。「お母さん、いつも美味しいご飯ありがとう」誰にも聞こえないぐらいの声で小さく呟いて、僕は前を向いた。センター試験が始まる。本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。全国のすべての受験生が、各々のベストを尽くせますように。心から応援しています。

子どもたちに知ってほしい、本当に失敗したくない時に活かせる失敗の仕方

僕の好きな言葉に「失敗しない人は何もしない人」というものがあります。暗に「失敗は悪いことじゃないよ」って伝えている言葉なのですが、それってもう結構多くの人が知っていることでもあると思うんですよね。かの発明王エジソンだってこう言っています。「失敗は積極的にしていきたい。なぜなら、それは成功と同じくらい貴重だからだ。失敗がなければ、何が最適なのかわからないだろう」それでも、世の中に失敗を怖がる人は沢山います。僕だってまだちょっと怖いです。もちろん、「ここで失敗したら終わりだ…」みたいな局面での失敗は命取りになることもあります。でも、そんな場面そうそうありますか?あえて強めに言ってしまえば、「あんたが失敗してもしなくてもどっちでもいいよ」みたいな場面の方が、人生生きていてよっぽど多いと思います。そんな「どっちでもいい場面」で萎縮して挑戦の機会を逃すのは勿体無い。失敗してもいい場面で、だけどちゃんと成功を目指して頑張って、だけどやっぱり失敗しちゃう。そんな経験は、成長という名の宝物をくれます。集められるだけ集めればいいのです。挑戦の機会が増えれば、少しずつ少しずつ上手になって、何十回の失敗の後に、一回の成功に出会えるかもしれません。失敗したから、成功できる。それで万々歳ですよね。それに失敗は課題を教えてくれます。なぜ失敗したのかを考えることで、成長のヒントが貰えるわけです。失敗を恐れてやらなければ、いつまで経ってもヒントは貰えません。だから、失敗できるときはいっぱい失敗しよう。いっぱい失敗するために、いっぱい挑戦しよう。もちろん、成功を狙ってベストを尽くしてね。成功を本気で目指して、失敗しよう。それが、人生に数回しかない「本当に失敗できない時」に、ちゃんと活きてくるよ。そんなお話をRPGツクール好きな小5の生徒に話したら、目を丸くして彼が言いました。「RPGでは負けると経験値貰えないんだけど、現実では貰えるんだ」うん、なんという名言。本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。さぁ、今日も経験値稼ぎ。

入試やテストに向けて、目標を即答する勢いで臨め。心理学好きな教室長が教える上手な意識の使い方

人間の意識する力というのは、すごいものです。最近買ったアイテムを急に街中で見つけるようになったり、カフェで自分の名字が聞こえるとその話に耳がいったりみたいなことを経験した覚えってありませんか?なくてもあったということにして先に進めましょう。これはそのアイテムや自分自身のことに意識がいっているために起こる現象です。同様に、意識の力は自身の行動へも影響を与えます。今まで気にしていなかったあの娘も意識すれば一挙手一投足が気になるし、欲しいものの広告にはすぐ気付くようになるし、やりたいことについての情報はなぜかどんどん頭に入ってくるようになります。そう、人間の脳は基本「思ったことを実現するために」動くものなのです。本当に実現するかどうかはわかりませんが、無意識にでもそっち方向に意識を向けるわけですね。これを使わない手はありません。だって、たった意識するだけで、行動の質が変わってくるのですから、こんなにお得なことはないでしょう。さぁ、自分の叶えたいことを早速意識してみましょう。それには、口に出して言うことが一番手っ取り早いです。叶えたいこと。やりたいこと。目標。例えば、今度のテストで取りたい点数。誰に聞かせなくても大丈夫。自分が確認できればいいのです。それに言うだけタダです。一回だと効果は薄いですが、一週間ぐらい言ってると、「目標点数は?」とかって訊かれた時に即答できるようになってきます。即答できるということは、意識している証拠です。ほら、どこかへ行くときも、ぶらぶら歩くより、目標を決めて歩いたほうが早く辿り着けるでしょ。それと一緒です。もう時間があまり残されていない方は、これを勉強にも応用しましょう。入試やテストで、取りたい点を、意識して勉強する。なんだか当たり前のことですが、念の為に情報共有でした。「あなたのそれぞれの科目の目標点数は?」答えられなかったら要注意。意識の力、活用できてないですよ。本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。使えるものは全部使って目標達成に挑戦しましょう。

箱根駅伝から学んだ、相手を超えるには相手以上の努力が必要だということ

ちょっと前のことになりますが、今年の年始に箱根駅伝を見ていて、「5分とか1分とか30秒の差がすごい」って思ったんですよね。え?いきなり何言ってんだって?今更箱根駅伝の話をするのはごめんなさい。でもね、ほら、実況とかで「1分の差」とか言われると大したことないと思うんですけど、実際にテレビで距離を見てみるとこりゃすごいと驚くというお話です。え?まさかとっくに知ってましたか?気になってちょっと調べてみると、彼らは平均して大体1キロを3分ペースで走るらしいんです。それって100mを18秒ペース。時速にすると20km。分速でいえば333m。速い!そのペースで長い距離を走るんですもんね。このデータを参考にすると、「1分の差」って約333mの差。東京タワーぐらいの差ってことです。うん、喩えが下手過ぎて余計イメージつきませんね。実際歩いてみるとよくわかります。今どきのスマホには大体万歩計みたいなのがついていますから、300mちょっと歩いてみて下さい。そこそこの距離でしょ。普通の人の徒歩4分ぐらい。これが「一分の差」ということです。五分だとこの5倍。ちょっとした持久走ぐらいの差です。片方はゴール付近なのにもう片方はスタートに居ることを想像したら、差の大きさがわかりますね。こりゃ「5分の差」をひっくり返すのは簡単じゃないわ。今年の箱根駅伝では、往路が終わった時点で、昨年王者の青学と往路優勝の東洋との差は5分30秒でしたから、もう結構な差なわけですね。平成に入ってから逆転した差の記録は2分51秒ということですから、この差の大きさがわかります。とまぁ、そんなことに想いを巡らせていたら、やっぱり受験についてに思考は戻ってきてしまうのです。受験における差とは、何でしょう。点数は流動的なので、差が分かりづらいですよね。ただ、目に見えるので比べやすいです。時間は、単純に計れないし目には見えません。ただ、なんとなくイメージはしやすいですよね。分かりやすいように、この「点数を上げる練習」×「時間」を「努力量」とするならば、冬に急に努力し出した子たちは気を付けねばなりません。受験は、今の努力量勝負ではなく、今までの努力量勝負ですからね。前を走るランナーとどれだけの差があるか、現状を正確に把握する術はありません。模試の結果や日々の時間の使い方から、なんとなく読み取れるだけです。ベテランの先生たちであれば実感値でそれを掴むことができるかもしれませんが、初めての受験である子どもたちにはどうしたって難しいでしょう。つまり、多くの子たちは、相手との差が具体的にはわからぬまま、本番当日に最後のタスキを渡され走り出すのです。前に何人のランナーがいるのか、どれぐらいの差があるのか、レースが終わるまで明確になることはありません。また、当たり前のことですが、もう一つ大事なことをお伝えしておきましょう。それは、前のランナーを抜かすためには、前にいるランナー以上の努力が必要だということです。受験一ヶ月前のこの時期は、みんな頑張ります。同じ努力をしていたのでは、差が縮まることはありません。相手を抜かすには、相手以上の努力をしなければならないのです。でも、前述した通り、そんな相手が何処にいるのかがわからないんでしたね。具体的にはどれだけいるかもどれだけ離れているかもわからない、きっと前にいるランナーを追いかけて、そのランナー以上に努力をする。それって難しいですよね。ですから、オススメの方法を紹介して、このお話を終えたいと思います。オススメの方法、それは、勝手に目標を作るということです。勝手に前を走っているだろうという人を見つけて、仮想敵を作るのです。そうですね、身近にいる「こいつめっちゃ勉強するな」と思っている人はどうですか?「この子に勝てれば、大抵の子には勝てる」という子はいませんか?居るなら、仮想敵としてその子をロックオンしましょう。今までの差はあるかもしれませんが、少なくとも今勝たなければ追いつくことは永遠にないのです。さぁ、勝負を始めましょう。ここまで来たら、やるべきことはある程度はっきりしているはずです。あとは、やるだけ。努力するだけ。その仮想敵にも、模試で自分よりも上に居た子たちにも、誰にも負けない、努力をするだけ。中途半端な努力では、差が縮まっているかどうかもわかりません。どうせやるなら、「これだけやってんだから絶対に差が縮まっている」と確信できる努力を。自分史上かつてない最高の努力を。さぁ、意地を見せてやりましょう。ここが正念場。必死で劇的で苦しくて泣きそうで、だけど最後には笑えるような、そんなラストスパートを。本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。何にその努力を費やせばいいのかはぜひお近くの信頼できる大人へ。

「不安で手が動かない」を論破する「負けたけど勝つ」という考え方

「あちゃー」というお茶目な声を出して、失敗を悔しがっている小学生がいました。講師が「お、無事に戦いを終えましたか」と声を掛けると、「負けたけど、勝った」という謎の名言を残していました。講師が「じゃあなんで負けたのか説明して」と言うと、しどろもどろになっていましたが。そんな彼の状況はさておき、その名言について、少し想いを巡らせてみました。「負けたけど勝った」ということが、この世の中にどれだけあるんだろう、と。そういえば、よく「勝負に勝って試合に負けた」みたいな言い回しがありますよね。ちょっとその意味を確認してみましょう。単純にその場で決した勝ち負けという点では負けているものの、お互いの心理的な面や体裁、または争いが収まった後の状態まで含んだ大局的な視点から見れば勝利したと言えるという意味の言い回し。おお、この「大局的な視点」というワードが光って見えますね。例えばスポーツの試合において、ズルっぽいことをした相手に正々堂々と挑んで負けたけど、その健闘を周りに讃えられた場合なんかは、「勝負に勝って試合に負けた」と言えそうです。M-1やキングオブコントなんかの番組で、優勝できなかったけどブレイクした、みたいなやつもそうですかね。なるほど、なるほど、何となく意味が掴めてきました。それでは、ここは塾ブログ。勉強においての「勝負に勝って試合に負けた」も見つけてみましょう。勉強における試合といえば、受験ですよね。受験に負けたけど、勝負に勝つということはあり得るのでしょうか。僕個人としては、「ある」と思っています。ここは賛否両論あるところだと思いますので、慎重に言葉を選んで書きますが、もしも考えが違うという場合は、「あーこういう考えの人もいるんだなぁ」と流していただければ幸いです。では、「ある」というのは、どういう場合なのか。それは、合格に向けて必死で頑張って、残念ながら結果が伴わなかったけど、将来ちゃんとその経験が役に立ったという場合です。それは(居ないと思いますが)ズルをして合格したことよりも、ずっと価値のあることだと思います。試合(受験)には負けたけど、勝負(人生)には勝ったということですね。そりゃ試合にも勝負にも勝てたら最高です。でも、受験の仕組み上、試合に勝ったものがいれば、負けるものがいるのも必然。でも、負けたとしても、その精一杯の経験を活かして、勝負には勝てるかもしれない。だから、試合結果がどうなったとしても、今頑張ることに無駄はないわけです。もう全身全霊で最高の結果を狙いましょう。それが、試合だけでなく勝負で勝つ上でも大切な要素になるのですから。ちょっと語ってしまいましたので、言い方をわかりやすくまとめてみましょう。今頑張れば、たとえ試合(受験)で負けたとしても、勝負(人生)には勝てるかもしれない。何を持って勝ちとするかどうかは曖昧ですが、辞書から引っ張ってきた言葉を借りるとすれば、大局的な視点で「よかった!」となれたら勝ちということでしょう。大切なことなので、改めてもう一度。今必死で頑張る。それだけしとけば、どんな未来においても勝ちにつながる可能性が高まる。うん、つまり何が言いたいかと言うと、「結果が不安で手が動かない」は、試合でも勝負でも勝てなくなる、とんでもない悪手だということです。不安だからこそ、手を動かそう。他の誰でもない、君自身の勝利のために。本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。具体的な頑張り方については、過去の記事を参考にしてね。