先日、生徒との雑談の中でたまたまこんなことを訊かれました。
「先生、ストレスとか溜まんないの?嫌なこととかある時どうしてんの?」
めっちゃタメ口でしたが、そこそこ病んでいそうだったので許しました。私も人間ですし、ストレスは人並みに溜まります。そもそもストレスというのはボールが凹む現象のことを指していて、実は快のストレスと負のストレスどちらもあるんですが…(こういうのはいらない)
問われて初めて「確かにどうしているんだろう」と考えてみました。
子どもの頃からあんまりストレスで動けなくなったり苦しみすぎたりすることはないかなぁと感じています。何をしているのかなと改めて自分と向き合ってみると、なかなか言語化が難しいですが、あえて言葉にしてみたら「焦点をずらしている」という表現がしっくりきました。
そうです。焦点をずらしているんです。大事なことだから2回言いました。
焦点っていうのは、理科でも出てきますね。光が集まるところです。転じて、人の関心や注目が集まるところという意味を持ちます。
例えば、今度の土曜日に嫌なことがあったとしたら、それを超えた次の月曜日の楽しみのことを考えます。当時だったら、新しいジャンプが発売されるとかね。嫌なことを楽しみで覆います。「土曜日のマラソン大会は嫌だけど結局走るだけ。死にはしない。それを乗り切れば楽しみが待っている」みたいにね。焦点ずらしてますよね。
もしくは、その土曜の前の金曜とか木曜とかに土曜の嫌なことに対する準備をめっちゃして、嫌なことの前借りをしちゃいます。当日まで温めててドッカンとくるのが怖いですから。小出しのストレスなら耐えられるかなと。
もっと言えば、「その嫌なことはもしかしたら自分にとって超重要なことなのかもしれない」とか「神様は乗り越えられる試練しか与えない」とかその嫌なこと自体のパワーを減らします。
つまり、ビビってるんですね。嫌なことを直視すると負けちゃうから、目を背けたり散らしたり。
だけど、嫌なことに向き合う経験って実は成長にはものすごく大事だから、背けても散らしても結局は対峙しなくちゃいけないんですけどね。
嫌なことに心が負けそうになったらぜひ試してみてください。
人生ってたった100年で長くないですから、なるべく多くの時間良い心持ちでいないと勿体無いですもんね。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
自分の心を大切に。
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