愛読している「ほぼ日」にこんな言葉が載っていました。糸井さんの日々のコラムから抜粋です。
問いそのものを考え出すことのほうが、
問いに対しての答えを出すこと以上に、大事なことだ。
と、よく言われるようになりました。
そうですね、すでに答えが出ている問いについて、
「ぼくにも正解が出せます」でほめられるのは、
学生の時代までかもしれません。
現実の社会って、問いが見つけられなかったり、
だれにも答えがわからなかったりすることばかりですから。
問いを見つけるのは、ほんとうに大事なことです。
みんながほんとは要らない答えを必死で探しているとき、
「問いそのものがちがうんじゃないか」と言えるのは、
なかなかむつかしいことですが。
問いを見つけることは、練習ができると思うのです。
ぼくが思うには、問いの世界へのカギは、
「じぶんだったらどうするだろう?」という問いです。
なんでもいいんです。じぶんに関係ないことでいいのです。
たとえば、いま新聞を読む人が少なくなってますよね。
それについて「そりゃそうだ。ぼくも読んでないもの」とか
「いまごろ新聞読んでるのは年寄りだけだよ」とか、
「高いよ」とか「めんどくさい」とか、
いろんなことは言えますが、それはただの平凡な感想です。
そこに「問いがない」のはよくわかりますよね。
さて、「じぶんだったらどうするだろう?」を入れます。
いっそ、そのじぶんを「新聞社をどうにかできる立場の、
とてもえらい人」であると仮定しましょうか。
あなたは、読売でも朝日でもいい、新聞社の社長です。
新聞を読む人が減っているという事実と直面しています。
社長、これからどうしましょうか?
ここで、すぐに「こうすりゃいいんだよ」という
万能薬みたいな答えが出てくるとは思えません。
でも、それはそれでいいんです。
ほんとうの社長だって重役だって、きっとすごく真剣に
考えていると思うけど、うまくは行ってないようですから。
「いまどき新聞なんて古いよ」と言ってたときよりも、
社長になったほうが、わからないことが増えてるでしょう。
わからないことがあるから、問いが生まれるわけですよね。
「どうして?」でも「どうする?」でも考えざるを得ない。
これ、けっこういくらでもできる練習なんですよね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「相手になってみる」という遊びには、問いが山盛りです。
日々日々このコラム「今日のダーリン」からは気付きをいただくことが多いのですが、今回の言葉も「なるほど!」と思うこと満載でした。
これって勉強でも同じですよね。
あえて改まった言い方をしますが、生徒諸君。
もしもあなたがテストを出題する側だったら、と少し考えてみましょう。
あなたがテスト作成者なら、今回のテストで、何をどんな風に問いたいと思うでしょう。ここは引っかかりそうだな、ここは絶対に知っておいてほしい、ここには難問を一つ、なんて、ちょっと先生気分になってテストを想像してみましょう。
そして、テストの日が答え合わせ。「なんだ、この先生センスないな」なんて分析できるようになったら一人前かもしれません。
何より、その目線を手に入れてする普段の勉強は、宝探しみたいでちょっと面白くならないですか。
さらに、自由な発想が好きなあなたは、この「じぶんだったらどうする?」という問いの「正解はないから自由に答えてみて」って言われた時みたいなワクワク感を、正解がある問題の勉強に活かしてみましょう。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
頭一つでテストすら楽しめるかも。しれない。
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