このブログの記事にしては珍しい強めのタイトルになりましたが、もちろんこれは自分への戒めなので、誰かのことを思って書いているわけではありません。
これから先、僕自身が生徒たちの指導に活かすとともに、生徒たち自身にも知ってほしい考え方ということで、今日は「他責」と「自責」について書いていきたいと思います。
それを踏まえて、お読みいただければ幸いです。
大切なのは「他責」ではなく「自責」の考え方
何か悪いことが起きたとき、嫌な目に遭ったとき、どんな考え方をするかが本日のテーマです。それを大きく分けて「他責」と「自責」の2つに分けて話を進めます。
道で躓いたとき、なんでこんなところに石があるんだよと怒る。失敗したとき、「教えてくれなかったからだ」と誰かを責める。楽しくなかったとき、「周りが話しかけてくれなかったから」とすねる。期待していたものをやってくれなかったとき、「なんでできないんだよ」と詰める。
こういった考えが「他責」です。他人に責任を求める、という意味ですね。
あんまり格好良くないと思っても、私自身もやっちゃうときが多々あります。イライラしているときや弱っているときが多いですかね。攻撃する対象ができて一瞬はスカッとするかもしれませんが、大体後々後悔しますね。
やっぱり理想は「自責」です。自分に責任を求める、ということですね。どう変わるか見てみましょう。
道で躓いたとき、どうして自分はこんなに小さな石に躓いてしまったのだろうと体調を疑う。失敗したとき、どうしたらうまくいったか反省する。楽しくなかったとき、「もっと準備をして、こんな話題を用意しておくとよかったな」と糧にする。期待していたものをやってくれなかったとき、「どんな伝え方をすれば結果は変わっただろう」と考える。
こんな風に、「自責」のいいところは、次に向けて活かせるということです。「他責」にしていてはなかった成長が、「自責」では驚くべきスピードで生まれます。
「自責」のコツは、ネガティブになりすぎないこと。自由な発想や「次に活かそう」というポジティブな考え方前提での「自責」が大事です。
嫌なことや失敗は誰にでもいつでも訪れます。それと向き合うときにいちいち凹んでいたら、人間、身がいくつあっても足りません。また、ちょっと強引か、ぐらいの「自責」であれば、考えている内に笑えてきます。
雨が降った。昨日てるてる坊主を吊るしておけばよかった。
ね。でも、これはこれで思考のトレーニングになります。起こった結果から、逆算して、どうすれば結果を変えることができたかを考える。思いを巡らしてみる。そこにまた成長は生まれます。
じゃあ「自責」するには?
ここまででもお分かりの通り、「自責」の考え方をするには、心に余裕がないといけません。
適度なセルフ・エフィカシー(自己効力感)を持ち、健康であること。これが「自責」する上での条件になるでしょう。疲れているときはついついネガティブになりがちです。
心地いい生活リズムや、自分自身の体調にこころ配りましょう。また、「自分は自分。そんなに悪い人間じゃない」ぐらいは常に心に置いておきましょう。でないと、「自責」が次に活かせない「自責」になってしまいます。
「自分は駄目だ」「どうせなんにもできない」なんて考えは、考えるだけ無駄です。悲劇のヒロインぶるのは心地いいときも確かにありますが、成長を止め、セルフ・エフィカシーをどんどん低くし、結果なんにもいいことを連れてきてはくれません。
私は私。人生は楽しい。ひとりじゃない。そんな当たり前のことを、ちゃんと踏まえた上で、「自責」しましょう。もしも今自分が嫌いなら、好きになるようにしてみたらいいだけです。人はいつでも変われて、心はいつだって自由ですからね。
そんなことを忘れそうになったらさ、いつでもおいでね。
まとめ
なんだか説教臭くなってしまいましたね。何度も言いますが、自分自身へ向けて注意しているようなものだとご理解ください。自責中です。
さて、まとめましょう。
「他責」よりも「自責」がいい。わかっちゃいるけどやめられない。だから、心身の健康を大事にしよう!
というお話でした。
「自責」ができる人は、成功からも失敗からも学べるわけですから、そりゃ成長スピードも早いですよね。
生徒諸君。「計算ミス」や「読み間違い」も自分自身の責任として捉えて、その理由を解明していくことが成長につながるんだよ。
塾はね、その方法を伝える場でもあり、君たちの心のエネルギーを育てたり充電したりする場でもある。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
強めのタイトルに自分が一番ビビりながら、ここまで読んでいただいたあなたに感謝申し上げます。
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