iPad Proからカバーを外してみた。
僕は過去に2度、iPadを割っている。一回目は2年使って割った。二回目は買って3日後に割れた。鞄の中に入っていたのに、置いた時にアスファルトにやられた。今と比べれば古い機種だったので、まだiPad自身にそれなりに重みがあったことも誤算だった。
2枚目のiPadが割れたとき、僕は悟った。その美しい見た目を代償にしてでも、カバーはかけたほうがいいと。
そんなわけで、僕は新しく買ったiPad Proに細心の注意を払って向きあっていた。手帳型のカバーをかけ、完全防備。鞄はリュックに変え、ふかふかのシートに守られている。割れる心配はない。安心だ。
ただ、そこまでして守ったiPadに触れる時間は、なぜかどんどんと減っていった。
今振り返ってみれば、理由は明白だ。
カバーで隠すことで、本来iPadが持つワクワク感が減ったからである。
僕がアップル製品を好きな理由は、そのスタイリッシュさ。使う時にワクワクできるあの感じ。スタバでマックを開いたことがある方ならきっと共感してくれるだろう。Mac製品はそれぞれ、使いたくなるフォルムを兼ね備えている。一言で言えば、格好良いのだ。
そんな格好良いフォルムが、カバーで隠れてしまった。
誤解を与えないように追記しておくが、カバーが悪いのではない。むしろ彼はすごくいい仕事をしてくれた。考え抜かれたiPadの美しさを超えるカバーを作るというのは、やはりかなり難しい話なのだ。
ただ、カバーによってもたらされたワクワク感の喪失が、僕をiPadから離れさせたことは事実だ。
理由は他にもあった。
カバーをつけていると、本当に僅かだが、iPadを使うまでに小さな手間が増えること。
使っている方ならおわかりの通り、アップル製品の良さはその利便性にある。iCloudでつながれた各デバイスの情報の移動はもちろん、よく使う機能はカスタマイズしてショートカットや効率化ができる。駅伝風に言えば、一秒を削る使い方ができるのだ。
せっかく中身で一秒を削っているのに、使うまでで一秒が増えてしまっては、快適さが損なわれてしまう。これもiPad離れの一つの要因であった。
そして、もう一つ。
カバーが重い。
以上のことから、実に静かに、ゆっくりと、iPadは僕の手から離れていった。転機が訪れたのは、つい先週のことだ。
写真とPDFを加工したくて、僕は久々にiPadを触った。
真夜中、布団に寝っ転がって触るので、カバーはいらないだろうと外したところ、「ん、これ快適じゃん!!!」と気付いたのだ。人間至る所に気付きはあるものである。
そこからはずっと外しっぱなし。やはり快適である。そして、ワクワクする。なお、軽い。触りたくなる。使いたくなる。そんな想いの向くまま、「全部これでやっちゃえばいいんだ」と新たな気付きを得、色んなアプリをダウンロードした。
LINEもメールもカレンダーも業務リストもすべてこれで確認し、対処できる。教育系の情報もアプリを使って簡単に集められる。さらに、面談や授業ではノートやアプリを使って説明や情報提供することができる。うん、そして何より使うのが楽しい。
たったカバーを外しただけで、僕とiPadを取り巻く世界が変わった。それはとっても小さな世界のお話だけれど、もしかしたら君の世界にも役立つお話かもしれない。
例えば勉強が、少しでもワクワクやれたら最高じゃない?ちょっとでもその状態に近づきたいなら、お気に入りの環境で、お気に入りのノートと文房具を使って、お気に入りの問題集に取り組むのはどうだろう。なるべくお気に入りの装備で、困難に立ち向かっていくんだ。気持ちや感情の力って、実はすごく強いから。困難の中にも、必ずあるワクワクを見つけに行こう。
そうそう、勉強を始めるときには、その意欲が減らないうちに、すぐに取りかかれるといい。鞄の中の整理はできているかな?筆記用具ややるべきものはすぐ取り出せる?やり方はわかっているかなぁ?自信を持って頷けないなら、身の回りや思考の整理をしよう。「すぐできる」って、たったそれだけで武器になるんだぜ。すぐできないことは、iPadでさえ使わなくなる。
ここまで一気に色々書いたけれど、それらを自分で考えるのが難しいっていうなら、誰かに頼ってもいい。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
それが僕がAppleから教わったこと。ちなみに、下記のサイトがApple使いにはオススメです。
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