「あの、私、子どもっていう年齢じゃないんですけど、教えていただくことってできるんでしょうか」
先日、教室にそんな反響がありました。
教室長からその報告を聞きながら、僕はとある生徒のことを思い出していました。
僕が教室長をやっていた頃の生徒ですから、もう6〜7年前になりますかね。
当時の「第二の家」に、73歳の方から「勉強したい」というお電話がきたのです。
記憶はおぼろげですが、覚えている限りの内容を綴っていこうと思います。
73歳の生徒のお話
電話対応したのは僕でした。
「私もう70を過ぎてるんですけど、英検の対策を教えてもらうことはできますか?」
一瞬の戸惑いはありましたが、もちろんオッケーです。
個別指導なので、目的さえわかっていれば授業自体は対応ができます。
お家も近いということで、すぐに面談を設定して、最初の面談。
「何か学んでみようと思って、ぱっと目についたのが英検でした。これからは英語の時代でしょ」
そんな風におっしゃっていたのが印象的でした。ひとしきりお話をお伺いして、一緒に目標を立てました。
目標は、英検三級に合格すること。
学力の状況を見るに、正直きつい目標だと感じましたが、途中で修正をすることも視野に入れて、勉強をはじめました。
授業は、うち一番のベテラン講師が担当。だけど、そのベテランよりもベテランですから、今までにないすべて敬語での授業が新鮮でした。
英語に関しては知識が曖昧でしたが、とっても快活で聡明な方で、毎回の授業やコミュニケーションが楽しくスムーズだった記憶があります。
途中体調を崩した日もありましたが、貪欲に学びを深めて、無事に英検合格。
最後の面談では、「学ぶことって、疲れるけど、楽しいわね」と笑っておりました。
学ぶことは、生きること
かの吉田松陰は言いました。
「学問をする眼目は、
自己を磨き
自己を確立することにある」
だからこそ学びは、自身がこの世を旅立つその日まで続く。彼はその言葉を体現するかのように、獄中でも学ぶことを続けたといいます。
自身も塾という場所にいる身として、日々日々学ぶことを絶やさずにいるつもりですが、その学びがどこまで継続できているのか、不安な思いもありました。
でも、実際に人生の大先輩が目の前で学ぶ姿勢を見て、尊敬の念と勇気と「負けていられない」という気持ちを持つことができました。また今回思い出して、一層その思いを強く抱きました。感謝ですね。
当時からも一応日々日々学び続けているつもりですが、どうでしょうか。
そういえば、この記事を書いていたら、担当した講師が当時こんな事を言っていたのを思い出しました。
「いつも以上に、教えているのに教わる感覚です」
そうか、学びは至るところに。教える方だって学ぶのだから、何なら生きていることすべては学びにつながるのかも。
もしかしたら「学ばなきゃ!」なんて構えすぎず、知らないことを一日一つ知るぐらいの感覚でいいのかもな。
人生の大先輩に「学び方」を改めて教わった、貴重な体験を綴ってみました。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
今思えば不思議とその席の周りの子ども達も集中していた気がする。
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