芥川賞受賞作、『推し、燃ゆ』を読みました。
きっかけは生徒に薦められたからなんですよね。しかも、繋がりはない二人に。
そりゃ気になりますよね。二人とも、「とにかく面白い」とか「なんというかすごい」とか話していたので、早速本屋で購入してきました。
読んですぐにわかる筆力の凄まじさ。著者欄を見れば、宇佐美りんさんは1999年生まれとのこと。現役の大学生。僕よりも遥かに年下。いや、だからこそ、この文章が書けるのか。
例えばこんな下り。
予行練習にそなえて二日前に洗濯しておいたはずの体操着が、なかった。ワイシャツ姿のまま部屋を探し、荒らし回ったのが朝の六時で、見つからないまま逃げるように寝て、昼に起きた。現実は変わらない。掘り起こした部屋は部屋そのものがバイト先の定食屋の洗い場のようで、手のつけようがない。
すごくないですか。「、」の位置が独特。だけどその方が文が面白くなるポイントを押さえている気がします。漂う気だるさ、みたいなものも伝わってきますよね。
また、こんな箇所もあります。今時っぽい。
「いま、来てて偉いって言った」
「ん」
「生きてて偉いって聞こえた一瞬」
ね。最初のうちはこんなノリについていけず、おじさん悪戦苦闘でしたが、人は成長するものです。読み進めていくうちに慣れて、どんどんその文章の魅力にハマっていきました。
そしたら次に迫ってきたのは、「重さ」です。
この小説、実はそんなに長くないんですよね。分量的には一日でさらっと読めてしまう程度。ただ、なかなかさらっとは読めないんです。「え?どういうこと?」って思いますか。重いんです。
読んだ後も、なんだか大長編を読んだような重さが頭や肩にのしかかります。うーん、その重さの例を出すなら『未来』を読んだ時のような感じでしょうか。
刺激的で、重くて、だけど魅力的で、決して暗い物語ではない。
この感じ、どこかで感じたことあるなと改めて考えてみると、浮かんだ答えは『火の鳥』でした。その理由は、以下ネタバレありの感想文で詳しく説明していきますね。
これから読むという方はここで引き返していただければ幸いです。
まずはあらすじを見てみましょう。
あらすじと簡単な感想
推しが燃えた。
そんな衝撃的な一文から始まるこの物語は、その名の通り、女子高生の「あかり」が推しているアイドルが人を殴って炎上するところから始まります。
そこから続くのは主人公と推しとの関係性を軸にした「あかり」の人生のお話。炎上事件をきっかけにして揺らいだ自己と推しとの関係性や事の顛末が上記に挙げたような圧倒的な筆圧で描かれていきます。
推しって、僕が過去に推したのはサザンの桑田さんぐらいなのですが、そのレベルじゃないですね。
お金も時間も人生もかける。それだけエネルギーを注ぐことができるものがあるということに若干の羨ましさも感じますが、周りの人たちの冷めた反応もよくわかります。
僕にとっては、気持ちがわからない若者を知るためのバイブルにもなりそうです。
また、発達障害などの病気の描写もリアルで、そういった部分は勉強にもなりました。
こんな風に自分が見えない世界を見せてくれるというのが本の醍醐味でもありますよね。読めて良かったです。
さて、ここからネタバレ感想です。引き返すなら今のうちです。
ネタバレ感想
『ネバーランドからの脱却』
アイドルってピーターパンみたいなものなんじゃないか。
作中でピーターパンの話が出て来た時に、ふとそんなことを思いました。
発達段階上は大人なのに、大人になろうとしない人。「ピーターパンシンドローム」って言葉もありますよね。怒られるかもしれないですけど、キンキキッズとか名前、まさにですよね。
もちろんアイドルっていうのはその部分を理解して、いわば狙ってやってるのだと思います。
でも、現実とのギャップに苦しむ人もいる。主人公が推すアイドルは、そんな感じだったのかなと。
一度「ネバーランドで生きていく」と覚悟したものの、大事な人ができて、夢の世界での生活と現実での生活を天秤にかけた時に、リアルが勝った。だけど人間、何かを天秤にかけた時には葛藤が生まれます。その葛藤が「暴力行為」として噴出し、大事な人に手を挙げることになってしまったのではないでしょうか。
「アイドルとしての未来」を捨ててでも大切にしたいものに彼は出会った。先のことなど考えずに「真っ直ぐになれるもの」に彼は巡り会った。そして、ピーターパンの役割を降りて、ネバーランドを出ていった。「大人」になったわけですね。
そんな彼が弾き語る曲が、四大精霊でありながら人間に許されぬ恋をした「ウィンディーネ」の二枚舌というのも面白いです。皮肉たっぷり。
対して、主人公にとっては、そんな彼自体が「真っ直ぐになれるもの」でした。お金も使った。時間も使った。人生を捧げた。
だけど、それだけ大事にしていたのに、後先考えず彼を追いかけることはできなかった。彼の人生、いや自分の人生を壊すようなことはできなかった。
物語のラスト、家に帰った主人公は衝動的に「暴力行為」をしようとして、そこで自分の本性に気づいてしまいます。
後始末が楽な、綿棒のケースを選んだ。
私、先を見ている。先のことを考えている。人生のどん底で、最悪で、一番苦しくて、最も感情的に動く場面においても、まだ生きることを考えている。人生を続けることを考えている。
主人公はそこで改めて何が大切かに気づいたのです。背骨だとさえ思っていた推しよりも、大切なもの。
生きる姿勢を見つけた。
それはこの苦しい経験を経て、主人公が大人になったということの証ではないでしょうか。『火の鳥』が、燃えてその中から新しく誕生するように、彼女もまた燃えるような経験をして、新しい自分に出会ったのです。
ネバーランドからの脱却。
人は冒険のような経験を経て、子どもから大人になる。
このお話は少し歪な成長物語なのかもしれません。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
そして人はまた推しに出会う。
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