「ねぇねぇ、なんで空は青いの?」
「なんで月は落っこちないの?」
「なんでタマは天国に行っちゃうの?」
「勉強ってなんでしなくちゃいけないの?」
昔、インターネットなんて言葉がまだどこにもなかった頃、そんな風に浮かべられた疑問は、どうやって解決していたんだろう。
図書館に行って調べたり、周りの大人に尋ねてみたり。でも、なかなか答えが出ないそんな時に、頼りになるのは物知りなお年寄り。僕の勝手な想像なら、救世主はいつもやさしく微笑む物知りばあちゃん。
子どもたちが持ってきた疑問を、次々とばあちゃんは解決していく。
その答えが嘘か誠かはわからない。そりゃ本当のことが多いんだろうけど、流石のばあちゃんでも知らないことはあるから、上手く誤魔化したその答えに、いつか大人になった子ども達が気づくこともある。
でも、それは嘘というか、どちらかと言えば願いに似ていて、「こうだったらなぁ」って思えることで、本当の答えに気づいた後でも「騙された!」とはならない。
わからないことが、わからないままでも、やさしく生きていけた時代。
時代は、変わった。
僕らの手の中には、いつも物知りばあちゃんがいる。
多くの疑問の答えはそこにあって、僕らは10秒としないうちに答えを探しに行ける。疑問が浮かんだら、少し手と目を動かせば、あっという間に解決できる。
その答えが嘘か誠かはわからない。そりゃ本当のことも多いんだろうけど、嘘やデタラメや勘違いもあるから、それを見極めるのは大変で、みんな苦労している。騙される人も多い。
わからないことが、わからないと、やさしくなれない時代。
物知りばあちゃんがいつも隣にいる時代かと思ったら、もうちょっと違うみたい。そこにいるのは、世の中の知の集合。人というよりは、なんだかもっと得体の知れないもののようで、なんだか神様に似ている気もする。
その神様のおかげで、そのうち世界から「ねぇねぇ」なんて声が聞こえなくなるかも知れないけれど、ねぇねぇ、それって本当に幸せなことなのかなぁ。
物知りばあちゃんに尋ねてみたくなった。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
僕らは何を手に入れて、何を失っていくのでしょう。
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