経験上、オール5に近い成績をとっていたとしても、文学的文章の選択肢を間違えて答えてしまいがちな子というのはいます。
文章が読めないというわけでも、本を読まないというわけでもありません。でも、二択までいって最終的に間違った選択肢を選んでしまうことがあるのです。
読解の方法を指導しながら、最終的には伸びていくことが多いのですが、一体その理由はなんなんだろうと考え調査をしているうちに、ある仮説に辿り着きました。
本日はそのお話です。あくまで個人的な意見です。
文学的文章が苦手な理由
調査結果の中で、彼らが本をよく読むことがわかりました。ただし、読んでいるものとしては、結構大人向けの刺激が強い小説が多かったんですよね。しかも、能力がある分、結構早いうちからそういった小説を読み始めるわけです。
事件とか殺人とか犯人とか裏表のある登場人物がガンガン出てきます。そういうのって、いい意味での裏切りを期待して読むんですよね。
対して、文学的文章で読む文章というのは感情の機微について描かれた王道の物語が多いです。そこに味わいがあるのですが、刺激に慣れた子からすると少し退屈に思えてしまうのではないでしょうか。
喩えるなら、濃い味付けと薄い味付けのようなものです。濃い味付けに慣れると、薄い味付けが美味しく感じにくくなりますよね。本当はそこに繊細な工夫があったとしても、です。
登場人物の感情が上下にグルングルン移動する刺激強めの物語に対して、それらの文章は彼らの小さな感情の変化を読み取らねばなりません。刺激も小さいので、それを見落としがちになるんですね。
また、刺激強めの物語に登場する裏の顔を持つ登場人物の残像が重なって、どこか裏をとってしまったり、強めの選択肢に惑わされてしまったりしているのかもしれません。
読む本はあくまで趣味で、「これを読みなさい」なんて読む本を指定するのはナンセンスなので、文学的文章の問題でそういった文章に触れながら、少しずつそういった物語の味わい深さに気づけるようにしていけるといいですね。
葛藤や矛盾や淡い気持ち。そここそが、人間の感情の本当に面白い部分なのですから。
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小さくても目を凝らせば大きくなる。
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