ドタバタ、という言葉が好きです。
もちろん誰にもなるべく迷惑がかからない前提で、
なんというか、心地よいドタバタというのがある気がするのです。
それはいわば生活の音。生きている証のような、ドタバタ。
チュンチュン鳥がさえずる朝。
家族が集まる陽が照らす茶の間。
お母さんはトントントンとまな板と包丁でリズムを刻む。
チン、とトースターが音を立て、
「私パンだけでいいから!」とパンをくわえた長女がランドセルを背負って走り回って、
眼鏡片手に新聞を読むお父さんが「こらこら危ないよ」と注意をする。
起きがけ寝ぼけ眼のお兄ちゃんが、「俺の歯ブラシ知らない?」ととぼけた声を出して、
まだちっちゃい妹がそれを指差して「変な頭〜」とケラケラ笑う。
おじいちゃんはその間ずーっとニコニコしている。
ドタバタは人がそこに居る証拠だ。
いくら試みてみても、
やっぱり一人できちんとドタバタするのは難しい。
人生は近くで見ると悲劇だけど、
遠くから見れば喜劇だ、と昔有名な人が言った。
それってつまり、ドタバタのことじゃないか。
ドタバタはしたくないけれど、思い出したら思わず笑っちゃうような、
どこか懐かしい、そんなドタバタをしていたい気持ちも、隅っこの方に確かにあるんだよね。
したくないけれど、したら楽しい、って、
何だかとっても不思議で可笑しいですよね。
もしかしたら、適度にドタバタすることは、
身体にも心にも良いことなのではないでしょうか。
うーん、もちろん全然求めてはいないのだけれど、
もしもチャンスが来たら、ドタバタ、してみようかな。
それもなるべく思いっきり。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
ドタバタしただけ、喜劇は盛り上がる。悲劇は少し陽気に見えるかも。
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