再会は突然だった。
我が家に「スーパーファミコンクラシックミニ」なるものが現れて、年末年始休み中の私はまんまとその毒牙にかかった。
それがTVの中に創った空間は、青春時代をともに過ごした魅力的なコンテンツに溢れていて、さながらゲームの楽園だった。
その楽園の中に、ひときわ大きな輝きを放つ光源を見つけた。
少年時代、いや、青年時代も含めて、何度も何度も繰り返し楽しんだ思い出のゲーム。何百時間を彼に費やしただろう。何万回の生き死にを彼と経験しただろう。友達よりも恋人よりも時には家族よりも多くの時間を共に過ごした日々が、確かにあった。
その光源の名は、「スーパーマリオワールド」といった。
スーパーマリオワールドが私に教えてくれた真理と奇跡の物語
スーパーマリオブラザーズシリーズの四作目。
大人気キャラクターヨッシーのデビュー作でもある。隠しゴールや裏ステージといった圧倒的なやりこみ要素と、飛んだりもぐったり踏んだりという基本動作がすごく気持ちいい最高のゲームバランス。
何度も全クリアをしているのに、またやりたくなってしまう中毒性。人生を振り返ってみれば、私が最も愛したゲームといっても過言ではなかった。
神様の悪戯か、私はそんな彼に、再び出会ったのだ。
お決まりのあの音楽から始まるオープニング。私の心は踊った。青春時代が甦る。と、同時に、いつか同級生に言われた心無い一言を思い出した。
「ヒゲのおっさんのゲームにどんだけハマってるんだよ」
亀を踏み、あまつさえその甲羅を投げさえする傍若無人なヒゲ男が活躍する物語がなぜこんなに面白いのか。だけど、そうだった。あの時、そんな疑問はすぐに消え去ったんだ。
面白いんだからいいじゃないか。
姫は大きな亀の化け物に何度攫われたら気が済むんだろうとか(シリーズ述べ20回は超えるそう)、そんだけ攫っといて大きな亀は亀でなぜもっとうまくできないんだろうとか、おい、緑色の恐竜よ。お前も城や砦やお化け屋敷に入ってこいよとか、そんなくだらない疑問はどれもすべて一言で解決ができる。その方が面白いんだからいいじゃないか。
その学びは、私の人生に大きな影響を与えたように思う。
苦しい時、悲しい時、何度「こっちのが面白くなるぞ」と自分を鼓舞してきたか。今思えばその原点はここにあったのかもしれない。いや、なかったかもしれないが、そんなことはもはやどうでもいいのだ。
そして、そんな「スーパーマリオワールド」は、長年の時を経て、再び私にある学びをくれた。それを説明するには、年末年始の慌ただしい毎日の中で、我が家に起こった奇跡について説明する必要がある。
「これ、どこがゴール?」
物語冒頭のヨッシーの家で、路頭に迷って友人は言った。彼は今までの人生でほとんどスーパーファミコンに触れておらず、もちろん、この「スーパーマリオワールド」も初体験だった。
このゲーム、手前味噌だが私自身は結構な腕前だ。やりこんだ数が違う。そんな私が共に冒険を楽しむ上で、Bダッシュも、マントで飛ぶことも、敵キャラを踏んづけて高くジャンプすることも、クリアした面で死にそうになったときにスタート→セレクトをうまく使うこともできない彼は、その実力に格差のあるパートナーであったことは言うまでもない。
また、久しぶりに冒険に出た私自身にも試練が待っていた。おぼろげな記憶と思うように動かない指。悪いリズム感はミスを誘った。それに加えて、彼へ操作を教えなければならないという勝手な責任感。その上で、感覚でやっていたことを説明する難しさを感じて、私は頭を抱えた。
「教えるのが難しい…」
ベテランの教室長になった今となっては久しぶりに味わう苦悩であった。
しかし、そんなことお構いもなく、彼は勇猛果敢にステージに取り組んでいく。すぐ死んでゲームオーバーになって私が機を分けてあげるのだが、その緑色のヒゲのおっさんを操る彼は、いくらそのヒゲが死んでも、楽しそうだった。
文字にするとなんだか怖いが、字面通りの意味で間違いはない。そして、その瞬間がやってきた。
モノを上に投げることも、スピンジャンプでブロックを壊すことも、スターの意味もツタの登り方もファイヤボールの効力も知らない彼が、後半のワールドの難所、迷いの森のコースを自力でクリアしたのだ。彼がゴールテープを切った時、たった二人の中でだけど、確かな感動が生まれた。
それは、まさしく奇跡と呼べる類のものだった。
そこで私は気付かされたのだ。
教えることなんて大して重要ではないということ。いや、それは語弊があるな。教えることよりも、大切なことが他にあること、だ。そして、その大切なこととは、当の本人が、成長したい者自身が、目的に応じたトライ&エラーを繰り返すということだ。
それさえ続けていれば、人は勝手に育つ。初心者の彼に必要なものは、他の何でもなく、多くのチャレンジと失敗と成功体験だった。そして事実、彼は成長し勝利を勝ち取ったのだ。その後も沢山やられたけどね。
そして、もう一つ。あるコースを最初から最後までマントで飛んでゴールした私に彼は嫌味なく言った。
「それって楽しいの?」
語弊なく言えばそれでももちろん楽しいのだが、確かに、ずっとだったらつまらなくなるかも。ゴールするから楽しいんじゃない。きっとできるけど、できるかどうかわからないから楽しいんだ。そう、ミスがあるから、失敗があるから、ゲームは面白くなるのだ。それはもしかしたら人生だって同じかもしれない。
「色々やったけどこれが一番面白いな」
楽園の中にある他のゲームにも概ね触れた後、彼はカラフルなこのゲームの表紙を指差して言った。あれだけ死んだのに、そう言わせる「スーパーマリオワールド」は、やっぱりすごい。
勉強もこんな風にできたら最高だな、と、とりあえず生徒のプリントの表紙をカラフルにしてみた私でした。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
束の間の休憩は終わり、ラストスパートへ。
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