計算テストとは深い因縁がある。
僕は、昔から計算が得意ではなかった。足し算引き算はよく指を使ってする子どもだったし、筆算を書くのは苦手だった。何度繰り下がりの罠に引っかかったか。九九を覚えたのは周りの子と比べても相当遅かったように思う。
立ち塞がった小数や分数の壁にもちゃんとぶつかった。まず最小公倍数って響きが難しい。改名して欲しい。通分に慣れる頃には、分数のかけ算割り算も出てきて、斜めの約分に「画期的だ」と驚いた記憶がある。
ちょうど僕が塾に通い始めたのもその頃だ。塾はとっても楽しかったけれど、毎回授業の頭にやる計算テストが嫌いだった。解き終わったら「終わった」と申告してタイムを測る一種の競争のようなテストだった。
計算スピードがそんなに早くなかった僕は、恥をかかないようにと一生懸命計算練習をした。その一生懸命さのおかげからか、そんなに悪くない順位であがれるようになった頃、中学校の数学が自身の得意科目になっていた。
わかると楽しい。できると嬉しい。通知表の5が輝いて見えた。やればできるんだと初めて実感した瞬間だった。
しかし、その栄光はそう長くは続かなかった。諸行無常とはよく言ったものだ。中学時に築き上げた僕の数学帝国は、高校生になった頃、わんさか出てきた公式たちの大地を揺るがす大軍勢に圧倒されて、滅び去った。そこら辺に散らばった数学の知識たちはもう居所も名前もちんぷんかんぷんだった。
敗北感からか僕は文系を選択して、心理学の道に進んだ。計算テストは、僕の目の前にその姿を現すことはなくなった。
少しの時を経て、次に計算テストに出会ったのは、塾講師になった時だった。生徒たちが解いているのを見て、「お、久しぶりにやってみよう」と調子に乗ったのだ。
めっちゃ遅かった。
悔しいから練習をした。まさか生徒に負けないように、繰り返し、繰り返し。またそこそこのスピードを手に入れた頃、僕は再び調子に乗って、高校生の数学にリベンジしてみようと急に思い立った。
結論から言おう。大人になってから学ぶ数学はとっても楽しかった。たすきがけ、三角比、三乗の公式、加法定理、微分積分、高校生の僕を苦しめた最恐の敵たちが、次々と仲間になった。伝説のモンスター達が、続々と脇を固めてくれたのだ。
しかし、仲間が増えると、もっと強い敵が出てくるのが物語というものだ。平穏な日々はそう長くは続かない。ほとんどの物語と同じように、先へ先へ進めたくなる衝動のまま参考書を解き続けた僕を待っていたのは、更なる強敵との出会いだった。
そいつの名は数Ⅲ。まさに極限だ。
僕は、数Ⅲの本をパラパラめくってすぐ見るのをやめた。僕の冒険は終わったのだ。
計算テストとは深い因縁がある。
彼が居なければ、僕はきっと数学を好きになることはなかったし、彼が居なければ、嫌いになることもなかった。そして、また好きになることなんて絶対になかった。
無限の組み合わせを誇る数字の羅列に立ち向かい、時間を守りながら目標点数の獲得を狙い、多くの経験値と自信と仲間を得て、時に敗北や学びを与えられ、感情さえも揺さぶられる。いいもんでもないけど、うん、あながち悪いものでもない。
今になって思ったら、結果、君が居てくれて本当に良かった。だからね、今は僕が渡す側になって、子どもたちにいっぱい君に出会ってもらっているんだ。彼らのレベルアップを見るのは楽しい。人はきっと、壁があるからそれを乗り越えられる。そう、人生には計算テストが必要だ。
は言い過ぎか。
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困難なくして成長はなし。
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