先日のほぼ日にこんなお話が載っていました。コピーライターでほぼ日の代表の糸井重里さんが毎日綴る今日のダーリンのお話です。
先日、55%のかけ算をくりかえして、
ここの原稿にしたが、また、似たようなことをやりたい。
「行動経済学」の名著『ファスト&スロー』のなかで、
努力しなくても自動的にできてしまうこと(ファスト=速い思考)と、
頭を使わなければできないこと(スロー=遅い思考)があると言っている。
いや、言っているどころか、これが本書の大きなテーマだ。
その速い思考の例として2×2の計算があげられている。
で、遅い思考の例として17×24というかけ算がでてくる。
後者の二桁のかけ算の問題について、
「紙と鉛筆があれば解けるがないと難しいと考えるだろう」とも、書いている。
そしてさらに「ぜひともこの問題に暗算で」取り組んでみてくれと書く。
素直なぼくは、その暗算にすぐに取りかかろうとした。
しかし、目の前にそのページが開いてないと、
17×24という問題さえも忘れてしまいそうになる。
ぼくは考える「17という半端な数字がややこしいので、
いったん20として考えてみよう。あとで24の3倍した数を
そこから引けばいいじゃないか」と考えてみたりする。
よし、まず、24を10倍したら240だろ。
それを2倍して480という数字を憶えればいい。
で、24の3倍を引けばいいだけじゃないか。
んーっと、24×3か、3・4=12の、3・2が6だから72か。
(これを読んでいる人は、これらの数字を目で見ているが)
さて、72を、どうするんだっけ?
なにかから引けばいいってことだったけど、なんだっけ?
(もう、とりあえず出した480のことは忘れてしまった)
え、なにを思い出せばいいんだ??
そもそももともとの二桁のかけ算って、なんだったっけ?
(途中で出した480も、17×24も忘れているのだ)
一回ずつやることは簡単なのだが、途中経過を覚えていて、
それを組み合わせないと答えは出てこないのである。
紙とペンがあることは、記憶の置き場があるということだ。
文字や図は「記憶しておく」ことと「考える」ことを、
分けてやらせてくれる、とんでもない道具だったのだな。
「記憶してあること」と「記録してあること」と、
「いま自由に思いつくこと」を知的に編集してるから、
ぼくやきみの「いい考え」が生まれているのである。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
まるで「ほぼ日手帳」の宣伝のようですが、そうとも言える。
この度注目したのは、中盤から後半にかけての暗算のくだりです。
糸井さんは計算を工夫して行おうとしていますが、途中で何をやっているかわからなくなってしまいます。暗算あるあるですよね。頭の中の筆算でやろうとしてもしばしば同じ状況に陥ります。
そこで僕らが使うのは、紙とペンです。糸井さんはこんな風に言っています。
紙とペンがあることは記憶の置き場があるということ。
そうなんです。紙とペンを引っ張り出して書くことは面倒臭いと思うかもしれないけれど、ただただ書くだけで頭の中はスッキリして楽になるのです。だから新しいことを考える余地が生まれる。
文字や図は「記憶しておく」ことと「考える」ことを、分けてやらせてくれる、とんでもない道具。なかなか手を動かさない子どもたちは、このことを早く認識するべきです。
勉強していて、考える材料がいくつかあるときは、それをメモしたり図にしたりして、覚えることを減らす。それが難問を解く際の上質な下ごしらえになるんですね。
早速今日から、イヤイヤ今から活用してみてください。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
そうすると「頭に残すもの」が残しやすくもなるね。
0コメント