その日はよく晴れていた。
僕はリュックサックに旅の道具を詰め込み、意気揚々と家を出た。
持ち物は、そうだな、地図とコンパス。ポケットにはコイン。水分補給に欠かせない水筒。険しい岸壁を登るためのロープ。頂上でゆるやかな時を過ごすためのケトル。突然の豪雨にも対応できるように折り畳み傘。うん、全部忘れた。そもそも旅先は山ではない。
今回目指すのは「藤沢市に突如現れたという幻のパンダ」だ。パンダ!?それも上野ではなくて藤沢に!?と驚く方も居るだろう。しかし、これは事実なのだ。
これはかつてないスケールのお宝の予感である。今までにも「勉強犬散歩」と題して様々な旅をお伝えしてきたが、今回は相当険しい旅になるだろう。
そもそもの旅のきっかけは、家に回覧板を届けてくれた地域の組長さんの話だった。「ここだけの話じゃが…」と前置きをして、彼は言った。
「かつてからこの地には伝説があってな。何処かの公園に潜むパンダを見つけた者には未来永劫の幸福が約束されるという…」※謎の組織に特定されないようにコメントを一部変更してお送りしています。
伝説について話し始めた組長さんの目はキラキラ輝いていた。その眼差しから、「ああ、きっとこの方もかつては一流のトレジャーハンターだったんだな」ということは容易に想像ができた。※一部情報を変更してお送りしています。
多くのハンター達が描き、そして潰えたそんな夢は、そう、この私が引き継ごう。散らばった夢の破片たちを集めて、私が最後のピースを加える。それはもしかしたら、あの大いなる財宝ワンピースにつながっているかもしれない。※くどいようですが一部情報を変更しています。
かくして、『勉強犬散歩〜幻のパンダ編〜』はスタートしたのだった。
道中には、色々な困難が私を待ち構えていた。
まず暑さ。燦然と輝く太陽が発する灼熱の光に、私の身は焼かれ燃えそうになったが、運が良かったのかちょうどいい感じに日焼けして健康的になれた。
そして強風。悪魔の悪戯ともいうようなその大自然の脅威が、度々私を吹き飛ばしそうになったり、木の葉を舞わせて切り刻みにかかったりしたが、「あーいい天気だなー」と唱えていたのが功を奏したのか、我が身には傷一つできなかった。むしろ涼しくてよかった。
さらに、虫、鳥、車、あらゆるものが私に襲いかかろうとした。神の怒りに触れてしまったのだろうかと恐れおののいたが、しかし実際はみんな陽気に一日を過ごしているだけだった。杞憂だった。
進むうちに、度々私は選択を迫られた。どちらに行くのか。もしかしたらもう戻れないかもしれない。そんな恐怖感と闘いながら私は選択を続けた。眼の前に広がるのは見ようによっては数千にも及ぶまるで迷路のような道。私は自分と闘いながら、足を前へ踏み出し続けた。
そしたら、30分で着いた。
ここが伝説の地。
大木を削ったに違いないこの地の名を伝える彫り物に歴史を感じる(標石とみる研究者もいる)。発する気に押されたのかの如く周りの雑草が波状に広がっている様子が印象的であった。
後河内公園。ずしりと響くその名は、まさに伝説の地にピッタリだろう。緑溢れる素敵な公園で、無邪気な子どもたちが元気に遊んでいた。
そして、私はやっと巡り会えたのだ。
パンダ!!!!!!!!!!!!!!!!
幻とも言われた彼は、確かにそこに実在していた。無限に広がる砂漠のような砂場の上に堂々と腰を下ろし、腹から何かを出していた。
雄大だ。どっしりとした佇まいから溢れ出る伝説感。大きな背中は、数多の物語を想起させ、(おそらくハンターにやられたのだろう)腹の謎の傷は、滑り台を連想させる。子どもたちも大喜びである。
公園の隅に残された記念碑にはこう記されていた。
この地域はかつて龍燈山、長峰山、国館、堂
坂、諏訪、川袋及び腰巻と呼ばれ、一部は蛇行する柏尾川に臨み、なだらかな丘陵地の山林と低地部の畑で大半を占めておりました。昭和四十年頃より周辺地区における市街化が急速に進み、この地区にも蚕食的な市街化進行の兆しが見え始め、半面公共施設の整備は極めて遅れていたため、これらの状況を危惧した地権者代表が協議し、将来の健全なる市街地の形成を図るため、地権者全員の協力を得て昭和四十六年十月五日土地区画整理組合を設立し、区画整理事業によるまちづくりに着手しました。 爾来、十六年余の歳月と総事業費五億九千万余円を投じ、総面積五.三八ヘクタールを対象に宅地造成と併せて道路、公園等の公共施設も整備したものであります。ここに、事業完成を記念し、この地区のまちづくりの由来を紹介し、地区の更なる発展を祈念し、この碑を建立しました。 昭和六十二年十月吉日 宮前土地区画整理組合
そこには語り継がれるべき歴史があったのだ。
これは容易に手を出していいお宝ではない。そう判断した私は、ちょっとだけ休憩し、駅へと向けて歩き出した。旅は終わらない。本屋で教材を探すのと、頼んだスーツを取りに行かなければならない。
ただ私の心の中には素敵な思い出が残った。そうなのだ。いつだって、宝物自体はたしかに魅力的だが、そこまでに至る道程こそが、困難に出会いそれを超えてきた経験こそが、それを遥かに凌駕するキラキラとした宝物になるのだ。
旅自体はとても短かったけど、決してその足跡は色褪せない。
そして訂正しておこう。「藤沢市に突如現れたという幻のパンダ」は「藤沢市に突如現れたという幻の昔からいたパンダ」であった。
それはまるで街の守り神のように。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
パンダを目標として歩いたこの経験を勉強に活かすとすれば、「ワクワクするような目標を立てることが道中をなるべく楽しむコツ」ってことかな。
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