先日、塾の仲間たちと教育談義で盛り上がっておりました。
いろんな話をしていたのですが、その中で、若手の教室長からこんな質問が出てきました。
良い授業って、なんですかね。
各々様々な答えが出てきていて、大変刺激になりました。こういった意見に正解不正解はなく、どれも大切で、どれも重要なことなんですよね。
その時の、そんな熱い想いたちを忘れないためにも、本日は「良い授業とはなにか」についての「今、自分なりの答え」をここに記しておきます。
ま、「勉強犬はそんな考えでやっているのか」ぐらいで読み進めていただければ、幸いです。
僕が考える「良い授業とはなにか」の答えについて
僕のお仕事は、「個別指導の塾の先生」です。
僕が考える「個別指導の塾の先生」の使命は、関わった生徒たちを幸せにすること。生徒たちの、今の幸せも、未来の幸せも考えながら、日々日々指導をしているつもりです。
生徒たちの幸せのための、目標達成サポート。幸せのための、成長フォロー。幸せのための相談相手や、幸せのためのスケジュール管理者、幸せのための授業をする人、が僕の役割になるわけですね。
さて、ここでビックリするぐらい当たり前のことを言いますね。
そのような使命をもって励む日々をもう何年も過ごしておりますが、未だかつて誰一人として、同じ生徒に出会ったことはありません。うん、当たり前ですね。至極当たり前のことなんですが、とっても大切なことです。ちょっとはっきり言ってみます。
宇宙のどこを探しても、「あなた」と同じ生徒はいない。
ですからもちろん、何から何まで同じ指導というのもやっぱりしたことがありません。人によって刺さる言葉も、響く説明も、笑う面白いことも、燃えるポイントも違いますからね。
「あなた」はたった一人だから、「あなた」に合う指導というのも、やっぱり「あなた」毎に違う。
そのことを踏まえて、私にとっての「良い授業」を考えるならば、なんだか抽象的ですが、【あなたのための授業】ということになるんじゃないかなと思います。
【あなたのための授業】には、もちろん「あなた」が必要不可欠です。だから僕は「あなた」を大切にします。ときには家族のように、ときには兄弟のように、ときには友達のように、ときには人生の先輩のように接することもあるでしょう。
もう一度言います。僕は「あなた」を大切にします。でも、その大切というのは、決して甘やかすこと同じではありません。
例えば、「あなた」が幸せになるための方法に、「あなた」自身が気付いていないこともけっこうあります。
そんなときの僕の【あなたのための授業】は、それを気付かせるための授業になるかもしれません。叱ったり、注意したり、思いっきり負荷をかけたり、それはもしかしたら、主人公の「あなた」が不快な思いをする授業であることもあるかもしれません。「あなた」にとって、敵みたいになることも。
でも、最終的にちゃんと【あなたのためになる授業】を目指して、僕は僕なりに頑張るわけです。誤解をされたりもするけれど、信じてくれたら嬉しいです。それが僕にとって「良い授業」なわけですからね。
さ、ここからはちょっとだけ余談です。
【あなたのための授業】をするために、僕は大人として、教育者として、「あなた」以上に頑張らなくちゃいけないなといつも思っています。実際そうかどうかは置いといて、思っています。
「あなたのために」がちゃんとうまくできるように、僕は毎日いろんな知識やら方法論やら声の掛け方やらを勉強して、頭の中の引き出しに入れていきます。
あの「あなた」にはこれがいいかな、この「あなた」にはこれが合うだろう、あっちの「あなた」にはこれがピッタリで、こっちの「あなた」にはこいつがベストでしょ、というのを引き出しに詰めていくわけです。
そこから、「あなた」の受け取るタイミングに合った「あなた」のためになるものを取り出して、心を込めて、伝え方だって最大限工夫して、渡します。
ちゃんと受け取ってくれるといいな、どういう反応をするかな、伝われ!なんて願いや不安や想いを込めて。
そして、それがちゃんと伝わったとき。予想以上の反応が返ってきたとき。逆にトンチンカンなことになって一緒に笑ったとき。その後花開いて成長や目標達成を遂げたとき。
僕は【あなたのための授業】をやってよかったなぁって思うのです。そして、これからももっともっとうまく【あなたのための授業】をしてあげたいなぁって思うのです。
ずっと昔も、ちょっと前も、今もずっと、そんな風なことを思ってやってきました。きっとこれから先もずっと、そう思ってやっていくことでしょう。
「第二の家」の片隅に、いつだってそんなことを考えている教室長がいることを、「あなた」が忘れないでいてくれることを、信じています。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
人を動かすのは、人の想いの力だって言うしね。
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