本日は、塾の宿題の量についてのお話です。
最初に断っておきますが、塾の宿題については、各々に色んな考えがあることでしょう。本日はあくまで僕個人の考えを綴っていきたいと思います。
本日の題材は、「塾の宿題の量、多くしてください」に潜む罠についてです。まずは僕の考える宿題の意味について述べておきましょう。
宿題の意味
僕にとって宿題は、一言で言うならば「成長するための約束」です。
言葉毎に区切って説明すれば、「成長」には確認と定着の意味合いが含まれています。
「授業でやった部分を本当に一人でできるのか」の確認と、「できたことをよりスムーズにできるようになる」という記憶や考え方の定着を図るべく、宿題を出しています。
山登りに喩えるなら、授業中に講師と一緒に登った山場を、後日一人で登れきれるのかの確認と、前に登ったときよりもうまく早く登れるようになるための練習材料として、宿題を出すということです。
そのために与える宿題は、一人ひとりで内容も量も異なります。
次に「約束」の説明です。
「約束」とはその名の通り、講師と生徒間での取り決めです。
宿題は、生徒自身にもなぜ必要なのかという意図をわかってもらって、スケジュールも見ながらその生徒一人でもできそうな部分を狙って量も質も調節して出すので、「やってこない」というのは基本有り得ないのですが、
それでもやってこない場合、そして納得する理由もない場合は、それはもうかっちりきっちり注意します。居残りなどもさせます。
それは「約束破り」だからです。大袈裟に言ってしまえば、約束を破るのは人としてどうなのかということです。そこでしっかり注意をしてあげるのは、大人として、人として、約束を破る事の重大性に気付かせてあげることでもあります。
ちょっと厳しい言い方になってしまいましたが、もちろん個々人の事情は考慮します。あくまで考え方のお話です。それぐらい「約束」って大事なんだよってことです。
宿題の役目は、学力的な成長を促すのはもちろん、人として当たり前のことを当たり前にできるための約束守りの練習材料。
これが僕にとっての宿題です。大切な「成長するための約束」なわけです。
「宿題を多く出してください」に潜む罠
保護者の方から「宿題を多く出してください」と言われることがあります。
殆どの場合、保護者の方と生徒ともその意図を共有して、適切な量を決めて調節していくのですが、本当たまに、お断りするケースもあります。
それはどんな時かと言うと、宿題を増やすことが本人のためにならないと思う時です。
前述の通り、宿題とは「成長のための約束」です。
その「成長するための約束」の量を闇雲に増やすのには、大きなリスクもあるのです。
まずは「成長」面のリスク。
それは与えられた宿題の量が本人にとって膨大だと、その量をこなす時間は「勉強」ではなくて「作業」になってしまい、頭を全然働かせずに機械的に問題を解き始めてしまうということです。
「あ、これは現在完了の問題だ」と思えば、空所にはもうあんまり何も考えずに「have+動詞の原形」を入れ始めます。これではやればやるだけ時間の無駄です。
生徒本人の性格や現状にもよりますが、目的の共有された本人も納得した量であれば、これが防げます。もちろん完全にというわけではありませんが。
ただ、「成長」にはそれなりの量が必要なのは事実ですから、そんな危険性を承知の上でしっかりと宿題を出せるのなら問題にならないことのほうが多いでしょう。
怖いのはもう一つのリスクのほうです。
それは「約束」面でのリスク。
無闇に宿題の量を増やすことで、「約束」の価値が薄れてしまうことがあります。
「絶対に守るべきもの」となっている約束が、安易に変更されることで、また本人にとって納得感のないものになることで、物理的にも精神的にも意味を成さなくなってしまうのです。
増やされた宿題を前に、もしも本人が「これは無理だ」と思ってしまえば、その時点で「約束」の効力は失われます。
いつの間にか「破るのが当たり前」の「約束」になってしまい、「約束」を破ることに痛みも苦しみも後ろめたさも感じなくなってしまいます。
もはやそれは「約束」とは呼べません。でも、本人の中では「約束」ですから、あまつさえ「あ、約束は破ってもいいんだな」という勘違いさえ引き起こしてしまいます。ほぼ無意識的に。
「いやいや、めっちゃ叱られれば大丈夫でしょ。約束を軽んじるようにはならないでしょ」と思われる方もいらっしゃるとは思いますが、
これが毎度続くと、何なら「あ、宿題を忘れたらかまってもらえるんだ」となってますます宿題忘れを助長するようになります。ご家庭での声掛けの注意点と一緒ですね。悪い時だけかまってしまうと、その行動を強化してしまうということです。
「宿題を多く出してください」の中には、大きく分けてこの2つのリスクがあると考えています。
つまり、宿題は多ければ多いほどいいってことではないということです。
もちろん、あえて困難を与えて成長を促す場合もありますし、目的意識の高い子であれば、できるかできないかギリギリのラインの宿題を出すこともあります。宿題を少なめにするのがいいと言っているわけでもありません。
結局は子どもたち一人ひとり次第なのですが、少し思ったことを書いてみました。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
いつになく語ってしまいました。賛否両論あると思いますが、優しい目で御覧いただけると幸いです。
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