先日の「ほぼ日」今日のダーリンにこんなお話が載っていました。
・「なにをすればうまくいくのか?」、 これがわかってさえいれば、たいていの人は努力もできる。 「うまくいくためになにをすればいいか」 わかってさえいれば、人はあんまりさぼったりしなくなる。 一流の選手たちが、練習熱心なのは、 その練習が、どういう効果をもたらすかを想像して、 その成果をみながらやっているからだ。 じぶんの成長のプロセスがおもしろくなっているのだ。 しかし、「なにをすればうまくいくのか?」を、 わかっている人は、そんなに多くないかもしれない。 「ひたすら走る」であるとか、ただただ「苦痛に耐える」、 「毎日スイングを千本ずつ繰り返す」というような、 「ことわざ」みたいに覚えている方法をやっていても、 おそらく妙な我慢強さが育ってくれるばかりだろう。 コーチがいないと、無駄な回り道をすることもありそうだ。 先に知っている人の方法や、知識、知恵、想像力、 そういったものを教えてもらうだけで、 「なにをすればうまくいくのか?」がわかりやすくなる。 これは、スポーツの話のように読まれるかもしれないが、 たいていの領域で共通していることだと思う。 ゆで卵をつくるのに「何個も何個もひたすらゆでてみろ」 なんて言われても、なかなかうまくなれるもんじゃない。 「時間を測ってみたらどうだ」とかのヒントをもらったら、 そこからは失敗の仕方も上達への道になってくる。 「熱湯から6分半で半熟ができる」とまで教ってもいい。 ぼくのいた広告の仕事のほうでは、 「100本コピーを書け」というような教え方が、 これも「ことわざ」のように広まっていた。 100本も書こうとすると、数を揃えるための要領を覚える。 よくある言い回しを機械的に当てはめていったりもする。 これでは「うまくなったようなふり」はできても まったく「うまくなってはいない」のである。 「なにをすればうまくいくのか?」をわかるために、 考える、人に聞く、仮説を立てて試してみる、本を読む、 うまい人のまねをする、などいろいろな方法がある。 たいていの一流の人たちは、それをいつも探している。 たぶん、それを向上心と呼ぶのだろうと思う。 今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。 「一芸に秀でる」人は、うまくいく方法を探すのがうまい。
これはまったくその通りだなと思った次第です。
「何をすればうまくいくのか」がわかっていない人は、一つ一つの行動が作業になりがちで、面白くもないし、手を抜きやすくなっちゃうんですよね。勉強だって同じです。
逆に、「うまくいく方法」を知っている人が成功しやすくて人生楽しめるというのは、子ども達でもなんとなくイメージできちゃうでしょう。
ですから、折角やる勉強というものを通して、「こうやったらうまくいくんだな」という肝心要の一点を見つける練習をしてほしいと思っています。人は一人一人違うので、その答えって自分で見つけるしかないんですよね。そんなことを意識して指導しています。
すごく勿体無いなと思うのは、「上手になりたい」という気持ちもないし、「うまくいきたい」という思いもない人についてです。ただただやりたくないことをやらされているだけ。被害者面して「面倒臭い」と言葉を吐き、ひどい時には人の邪魔もする。あえて辛辣に書いてみましたが、それってひどく勿体ないなぁって思うんです。
そういう人は、「大人になってもこんなの(知識)使わないでしょ」と言うけれど、本当はそんなこと(知識)よりも重要な、プロセスの方まで無視しちゃってるんです。「うまくいく方法を探す」っていうプロセスを。これが本当に後で役に立つのに。
ただ、逆を言えば、それを探すプロセスの練習って、勉強じゃなくてもできるんですよね。もし進みたい道がハッキリしているのなら、勉強じゃなくてその道にエネルギーを注いだっていい。
「うまくいく方法探し」、ちょこっと意識して今日もやるべきことに取り組んでみてください。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
私も日々日々探しています。
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