暗闇の中に手を伸ばす。いや、手じゃないな。目や頭を突っ込む。すると、そこが光に溢れていることに気がつく。果てのない、いくつもの煌めきの中で、プカプカ浮かびながら遊泳を楽しむのもいいけれど、実はまた違った楽しみ方もあるんだ。そこに眠っている、たった一つの答えを見つけること。
それが、文章という宇宙の中で、僕らができること。
神奈川県私塾協同組合さん主催の「勉強会セミナー」に参加してきました。今回は鎌倉のすごい塾「すばる進学セミナー」の『国語の神様』中本先生による国語の会でした。
まずは組合の方々や中本先生に御礼を。貴重な場を提供していただき、本当にありがとうございました。大変勉強になりました。この学びを、教室で生徒たちに還元していきたいと思います。
圧巻の入試分析はもちろん、どんな風に国語を教えるかというリアルな内容は、もう刺激を受けまくりで、脳みそフル回転でした。詳しくはここには書きませんが、期待しててね、生徒たち。
途中、音読を依頼されるという緊急事態があったのですが、人生で一番緊張しながら文章を読んだ気がします。いつかの次回に備えて、音読の腕を上げておこうと思います。
それにしても、見せていただいた模擬授業は、「文学としての国語」の楽しみを残しつつ、「謎解きとしての国語」にもしっかりと触れ、納得感ある真実を導き出し、同時に文章を読み解く面白さと喜びに溢れたものでした。サン=テグジュペリ『星の王子様』とコナンくんを使った導入も秀逸でしたね。
「あの授業を受けたら、国語好きになるよな」。それが僕の感想でした。
国語の答えって、すごく曖昧なものとして扱われることが多いんですけど、例えば入試問題の国語ってそうじゃないんですよね。言い換えたり、結びつけたり、比べたりしながら、散りばめられたヒントを使って、文章を読みほどいていく。そこにたった一つの真実がある。
作品を読んで感想を語り合うという文学的な国語も大切なんだけど、その真実を見つける国語っていうのもすごく大事。それも長く難解な文章の中からね。昨今、変化する大学入試や高校入試を見ていてもそういう力が求められているんだなとわかりますよね。
先生は「解釈共同体のコード」という言葉を使われていましたが、僕らは「こうした時は悲しい」とか「こう言われた時はこんな答えを求められている」とか、国語という科目を通して、人生に役立つ考え方を学んでいると思うんです。
僕はよく国語力を「相手の求めるものを返す力」と定義します。
「何食べたい?」「筆箱」
国語力がないとこんな会話になってしまいます。反対に、国語力を駆使した会話というのは、例えばこんな感じです。
「何食べたい?」「(そういえば冷蔵庫の中にパスタが余っていたからここでペペロンチーノって言ったら喜ぶだろうな)お母さんの作るペペロンチーノめっちゃ美味しいから、ペペロンチーノ食べたいな」
ね、この「答えを探る力」や「空気を読む力」「伝える力」などの総称を「国語力」と呼んでいます。僕は、の話ですよ。
この国語力を高めるには「アイテム(語彙や文法)」や「論理的思考」、「伝え方」の知識が必要で、それを集めたり鍛えたりするのが国語という科目なのだと思います。
国語を学ぶ。
それは、いくつもの物語や説明文を通して、「人生という名の宇宙」の進み方を学んでいるということに他ならないのです。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
それにしても、素敵な時間でした。改めて、ありがとうございました。
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