うちの塾では「面倒臭い」と言うと、僕が寄ってきてじーっと見られます。
厳密にいえば、「面倒臭い」と「言うまで」はセーフです。面倒臭がって「何かやらなかった」瞬間に、僕の言葉が飛ぶことになります。
なぜ、面倒臭いことが大切なのか。
たしかに、面倒臭いからスタートして、進化や開発が進む・便利になると言う側面もあるでしょう。機械なんて大体がそうですよね。
でも、それって誰かが面倒臭いことに立ち向かってくれたおかげなんです。だからこそ、面倒臭いをやらない理由にしてはいけない。むしろ面倒臭いと感じることをやってみて、ちゃんと理解しておくことが大切です。困難に立ち向かういい経験にもなります。
そんな偉そうなことを言いながら、僕も「面倒臭い」と思うことは多々あります。こたつに入っている時に、ゴミ箱へと行くの面倒臭い、とかね。
そんな時どうしたらいいんだろう、と頭の片隅に疑問を浮かべておいたら、先日それの答えとなりそうな記事に巡り会いました。
「Lidea」というLIONが運営しているサイトの斎藤充博さんという方の記事です。
ハロー、脳科学。グッバイ、めんどくさい。になるか?
記事によると、めんどくさいと言う感情は余裕があるから生まれるのだという。
「めんどくさい」って思えるのは、自分の脳に余裕があるとき。その余裕で本来考えなくてはいけないこととは別に「めんどくさい」ということを考えてしまっているんです。自動車で言えばアクセルとブレーキを同時に全力でかけているような状態ですよ。これは疲れますよね。
たしかに、たしかに。切羽詰まっているときは「めんどくさい」って考えてる暇ないもんな。
だからあえて切羽詰まるような状況にしてあげるといいといいます。記事で紹介されているのは、「目をつぶりながら片足で立って30秒数える」というものでした。
「コタツから出るより面倒臭い」と思ったのはここだけの話。でもね、やってみると頭がスッキリした感覚に出会えますよ。
そこで、さっきのやり方です。目をつぶって片足立ちになる。声に出して数を数える。すると、脳の中のバランスをとる部分と、数を数える部分、発声する部分を全力で使うことになります。これでもう「めんどくさい」なんて考えている余裕はなくなるんです。この方法は、脳のいろいろな場所を同時に使っているので、脳が一気に活性化されます。使えるテクニックなんですよ。
あとは静かすぎる環境は逆に集中できないのだとか。うちは割と静かになるので、何か音楽かけてみようかなぁ。
さらに、不得意なことをやるときには「めんどくさい」を感じやすいのだといいます。自分の枠を越えようとするときにも。たしかに、たしかに。
僕の場合は例えば料理。人にとってはそれは気軽で簡単な作業で、生徒にも「やればいいじゃん」とか言われることもあるのですが、なんだか苦手意識が邪魔をしてめんどうくさがっちゃうんですよね。
記事の中の先生は言います。
でも「めんどくさい」と感じることは脳が未熟であるサインと考えてみてください。それに気付けば、自分の能力を高めるチャンスにもなります。
なるほど、なるほど。先生はこうも付け加えられています。
近年の研究で、脳は死ぬ瞬間まで育ち続ける器官であることがわかってきました。あえて「めんどくさい」ことをするのもいいんですよ。
面倒臭いは、成長のチャンス。なんだかいい響きじゃないか。
勉強している間におもむろに立ち上がって急に片足立ちで目をつぶって30秒数え出す塾にするのもいいですが、まずはこういう気持ちから変えていけるといいなと思いました。
「面倒臭い」に打ち勝つたび、僕らはまた一つ強くなる。
僕もちゃんと伝え続けます。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
あとの面倒臭いをなくすために今の面倒臭いに立ち向かうっていうのもあるね。想像力!
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