地元である相模原市を抜け出して、藤沢市に家を建てた。
藤沢は、仕事で来るまでは縁もゆかりもない土地で、それこそ江ノ島ぐらいしか知らなかったのだけれど、「湘南」という響きに昔から憧れは持っていた。
「湘南」に憧れを持っていたのは、応援団(ファンクラブ)に入るぐらいサザンオールスターズが好きだった影響もあるだろう。もちろん茅ヶ崎にも住んだ。海の目の前の家だったが、結局仕事ばかりで昼間になかなか海に行かないことに気付いた。若かりし頃は僕も土日返上でよく働いていた。
海に行かないことに気付いてからは、利便さを優先するようになって、藤沢に移り住んだ。駅前の分譲マンションの一室が賃貸に出ていて即決した。住み心地は良かったのだが、とにかく日当たりが悪い部屋で、太陽や海が恋しくなった。人生はきっとこんな風にないものねだりの連続なんだろう。
そういえば、ある日、その家の目の前が警官隊でいっぱいだったことがある。後から聞いた話によると、それはある詐欺事件のクライマックスの場面らしかったのだけれど、藤沢に移り住んで、出会う人はみんないい人ばかりだったから、こんなにすぐ近くに悪人が居ることを知って僕は少し怖くなった。でもそのあと近所の美味しいつけ麺屋さんでご飯を食べていたらすっかり怖さはなくなった。勝手なものだ。そういえばそのつけ麺屋さんではいつもサザンオールスターズが流れていた。それもあってそのつけ麺屋さんにはよく足を運んだ。こんなにつけ麺屋さんつけ麺屋さんって言っておきながら、そこへ行くと僕はよく普通のラーメンを頼んで食べた。
そんな勝手な僕にも、大好きな人ができて、結婚をした。辻堂の賃貸テラスハウスで暮らしながら、いつか自宅で開業したいと妻にも伝えていた僕は、のんびり家探しをしていた。最初は、海の近くに住んでカフェみたいな塾を開きたいと思っていたけれど、なかなかいい物件が見つからなくて、迷っていた。どうでもいいけれど辻堂のテラスハウスって響きお洒落だな。
そんなある日、不動屋さんの営業マンに素敵な家を紹介された。希望していた海沿いのエリアではなかったけれど、見た瞬間に気に入って、これまた即決した。住んでみれば、海まで走っていくのがいい距離で、近所の人たちもいい人ばかりで、大満足した思い出がある。結局、辻堂の賃貸テラスハウスには一年も住まなかった。どうでもいいけれど辻堂のテラスハウスって響きお洒落だな。
テラスハウス。日本語にすると「長屋」。言い方次第でこうも印象が変わるのだから、やはり言い方というのは大事だ。
そうそう、大事といえば、自宅で塾をやるのであれば、その物件には駅からの距離が近いなど利便性が大事だ。ただ、僕が買った家は駅から徒歩15分。とても便利とはいえない。はたしてここで開業をして、誰か生徒が来てくれるのだろうか。そんな不安に押しつぶされそうになりながらも、僕は覚悟を決めた。会社を辞め、新しい塾を立ち上げたのだ。大好きなこの場所で。
話は大きく逸れるが、ここで遠き過去に想いを馳せてみよう。歴史を辿れば、藤沢の名は古典太平記の十巻に既に記されているらしい。ただ、今のようにこの地がそれなりに栄えたのは、東海道の宿場いわゆる「藤沢宿」が設けられたからであろう。感謝せねばなるまい。ありがとう、徳川家康。ちなみにうちも音だけ拾えば同じ「ふじさわじゅく」である。
だからなのか、素敵な保護者の方や生徒たちに教室を見つけてもらい、なんとか塾を続けていけるようになった。見つけてくれた方々に、もう感謝しかなかった。だから、がむしゃらに頑張った。毎日塾のことを考えていた。まぁ、それは今もだけれど。
あれから、もう何年の月日が流れただろう。
きっともうすぐ、僕のこの人生にも終わりが来る。いやはや、振り返ってみれば、素晴らしい人生だった。素敵な人たちに巡り会えて、素晴らしい時間を過ごせて、きっと最後の時も「あー楽しかった」と笑って向こうに旅立てるに違いない。
我が塾「第二の家」を卒業していった生徒たちとは、今も交流がある。あの日から何度も改装を重ねた自宅のベッドに横たわり、妻の淹れたお茶を飲みながら、彼らからの報告を聞くのが今の一番の楽しみだ。みんな、思い思いの場所で、最高の人生を送っている。みんな、幸せに暮らしている。それが何より嬉しい。
いつか、僕は思った。人生は、ないものねだりの連続なのだろう、と。でも、違った。あるものをちゃんと見つめれば、何もねだる必要などないのだ。
最後に、今ふと思ったことを書き綴っておこう。久々にサザンオールスターズの曲を聴いていたら、思いついた。老人の戯言だと思って聞いて欲しい。
人生と音楽とは似ている。明るい曲や暗い曲、色んな調子があるが、そのどれもが決して誰かを傷つけたり苦しめたりしようとする意図を持つものではない。すべては、捉え方次第だ。
僕がこの「第二の家」で、奏でてきた音楽とはどんなものだっただろう。自由奔放で、もしかしたら誰かの耳に触る音だったかもしれないけれど、少なくても、気に入ってくれた人が居てくれたならいい。
もしも、いつかここで塾を始めたあの日に、また戻れるとしたら、僕はきっとおんなじ風に日々を過ごすだろう。いいことも悪いこともあったけれど、大好きな人たちと共に過ごせた毎日を、おんなじように生きるだろう。そして、何も変わらずに、実に自由奔放な、「第二の家」らしい音を鳴らし続けるだろう。
藤沢の片隅から、愛を込めて。
なお、この文章はフィクションである。ただし、未来がそうであるように努力し続けていきたい。
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勉強犬作文コンクールエントリー作品。
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