私が生まれた頃、最後の氷期が終わって、ヨーロッパ付近の火山活動が落ち着いたのだと誰かが言っていた。約10000年前ぐらいのことだ。
その後、どうやら私は他のみんなに比べてだいぶ長寿だったようで、銅を作ったり(紀元前8800年ごろ)、加工を覚えたりして、モノづくりの楽しさにハマっていった。でも、そのうちそれにも飽きて、何処かで知った農耕の技術を伝え歩きながら、世界中を旅していた。
紀元前3000年ごろには文明アドバイザーとして各地を転々としていた。メソポタミアやインド、エジプトや中国など色んな場所を巡った。どこにも賢い人というのはいるもので、中には一を聞いて十を知るといったような、教えた私を驚かせる技術を身につけた者たちもいた。
その後もヨーロッパの民や中華を統一した始皇帝らに助言しながら余生を楽しんでいた私は、その前後のある時、バカンスで小さな島国に辿り着く。最初はほんの短いバカンスの予定だったのだけれど、その場所の美しさに惚れて定住を決めた。それが今や日本と呼ばれる国だ。
当時は、今で言う縄文時代から弥生時代への過渡期だったように思う。なんだか派手な土器を見て、職人達と「え、これ使いやすいようにもっとシンプルにしたほうがいいんじゃない?」とか「こうすると便利だよ」みたいに会議するのが楽しかった。そしたら、改良したそのシンプルな土器がめっちゃ流行った。
大陸の方に知り合いもいたから、紹介したら、金印をもらってきた。当時はそれがこんなに歴史に残るなんて思ってもみなかったけど。そういえばその頃、卑弥呼と呼ばれる女王がいて、彼女に頼まれてそれまでの経験をもとに私が感じた指導者としての心構えや振る舞いを伝えた。彼女は元々才能もあったからそれをうまく利用して後世にも名を残した。
次の世代にもいろんなアドバイスをした。「なんか世界の国々では、権力を誇示するためにでかい墓作るよ」って言ったら、古墳が出来た。はにわのコンセプトデザインも最初は私が手掛けたのだけれど、すぐに腕のいい職人たちにもっといいものを作られた。この辺りで自分の限界を感じた。
もうちょっとすると、権力争いが盛んになってきた。この頃やっぱり一番飛び抜けていたのは、聖徳太子だと思う。私の方がだいぶ年上だけど、さん付けで呼びたいぐらい尊敬した。ちょっと昔の話をしたら、自分でどんどん新しい仕組みを作っていった。「冠位十二階」とか「十七条の憲法」とか。あ、ちょっとだけ自慢をすれば、数字つけたほうがいいよって言ったのは私ね。
大化改新は近くで見てただけだけど、権力争いってやっぱり悲惨だよね。その後、中ちゃん(おそらく中大兄皇子のこと)の息子と弟が戦うことになった時はなんだか虚しさを覚えたよね。
そのあとは確か、奈良で仏教グッズや大仏グッズで一儲けした。人間が宗教に弱いのは過去の歴史から知っていたから狙い目だなとは思ってた。古事記や日本書紀や万葉集の編纂もちょっとだけ手伝った。
そうこうしているうちに、今で言うニートかな、貴族って呼ばれる彼らが歌で遊んでいたから、編集や広報チームを作って、ブームを牽引した。これも一儲けできた。紫式部の源氏物語や清少納言の枕草子はベストセラーになった。
ただ、ここら辺で予想外のことが起きた。天皇や貴族がずっと権力を持っていくんだろうなーと思っていたら、武士と呼ばれる人たちが力を持ち始めた。鎌倉に幕府ができた時は驚いた。余談だけど、その頃仲良くなった義経が兄貴の頼朝にやられそうになっていたから、つてを使って大陸の方に逃してあげた。聞いた話だと向こうでも頑張っていたらしい。
征夷大将軍になった頼朝には最初の頃から御恩と奉公のシステムには欠点があるよと伝えていたのだけれど、奥さんが強気で全然言うこと聞かなかった。この頃から私も政治への興味関心が薄れていった。
その後何だかごちゃごちゃして、天皇が増えたり減ったり、「そろそろ日本も終わりかなー」て思って見ていたけど、足利義満っていう有能な男が出てきて、なんやかんや大丈夫にした。あの金閣建てた彼ね。
まぁでも人はそんなに長く生きられない。日本はやっぱりまたその後不安定になって、戦国時代が始まった。「下克上や!」とみんな燃えていた。私の推しだった織田信長がよく頑張ったけど、結局その後を継いだ豊臣秀吉が天下を統一した。太閤検地とか、刀狩りとか、朝鮮出兵とか、とにかくアイディアマンだった。
あっぱれだったのは、徳川家康だ。待ちに待って、ようやく天下を獲った。考えた仕組みも良かった。江戸時代、結構長く続いたもんね。
えーと、隠居していた私のところに助言をもらいにきたのは、3代目の家光と8代目の吉宗かな。5代目の綱吉の時は「生類憐みの令、ナイス!」って影ながら応援していたけど、あれ、だいぶ反感かったみたいだったね。私は犬好きだったから悪くなかった。
ご縁があって、享保の改革や地図作り、解体新書や薩長同盟も裏で少しだけ関わった。坂本龍馬はね、本当に面白い男で、私が「5000年以上生きてる」って言ったら唯一信じた日本人だった。そのうち日本を窮屈に感じて、暗殺されたことにして世界へ旅だったようだ。
後に幕末といわれるあの頃は本当色々あって、各々の中身とそれに付随する面白い裏話について詳しく説明してもいいんだけど、誰も興味ないだろうから今日はやめておこう。とりあえずペリーとハリスは陽気でいいやつ。国と国の間で板挟みになってたよ。
明治になって、驚くべきスピードで物事が進んでいった。欧米化していく日本に少し興味を失った私は、ここから長い旅に出るんだけど、それがいけなかったのかもしれない。帰ってきたら、戦争が始まって、終わっていた。関東大震災もあった大正という時代がたった10年ちょっとで終わって、昭和が来て、私の愛すべき日本に原爆が落ちた。
それから私はありとあらゆる文献や情報を辿って、どうすればそんな最悪の事態が避けられたのかをよく考えた。日本のこと、世界のこと、いろんな歴史を改めて学んだ。長く生きていても、わからないことだらけだということがよくわかった。そして、今も考え続けている。
その答えの一つになるかどうかわからないけれど、「平和主義」という文言が入った憲法が、初めて作られる現場を目の当たりにして、これは偉大なる約束だと思った。どうか世界中の人々が、この約束を守り続けられますようにと願った。
人間の寿命は短いけれど、彼らはあんなにも短い寿命の中で、いくつもの素晴らしい発想を生み出し、世界を変えてきた。まだまだ、きっと良い方向へ変わっていくと思う。これからも楽しみにしながら、世の中を見守っていきたい。これからの世界に期待しています。
ご清聴ありがとうございました。
匿名希望(自称10800歳) 藤沢市民会館にて講演の記録
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
お分かりでしょうが、フィクションです。
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