ついにこの日がやってきた。
朝目覚めた瞬間から、僕は興奮していた。心の中が夢のように彩られていた。そう、僕が抱えるこの気持ちは例えばミスチルの曲のイントロが醸し出す「これからどんなことが起こるんだろう」というワクワクドキドキ感と似ていた。
大豊作が確定している収穫を待つ農家のように、妙にソワソワしながら、僕は朝のルーティンをこなしていく。
届け物の時間指定は「午前中」にしてある。いつも思うのだけど、他の時間に比べて「午前中」だけ指定範囲が広すぎやしないか。まるで新宿小学校の校庭のレフト側のようだ。あっちへ打てばホームランの確率が高まるぐらい広い。まぁ、指定できるだけ有難いのだが、おかげでいつシャワーを浴びていいかわからない。
ピンポーン。不意に鳴ったチャイムの音。それはまるで幽遊白書の魔界編の始まりかのように。
慌てて玄関へ走り、フェルナンドときたらトーレスぐらい決まりきった手はずで荷物を受け取る。
受け取ったダンボールに包まれたそれは、さながらボディガードに厳重に警備されている王女のようで、まずはなかなか剥がれてくれないダンボールと格闘。
ジャッキーばりのアクションをこなしながら、隙間から見える美しい包装に期待値が高まる。さすがApple。こういう演出を大切にしてくれる。
そして、僕らは出会った。踏切でも、階段でも、空港でもなく、我が家にて。
ドラゴン退治に向かった勇者が最後の最後に手に入れる封印を解く謎の玉のように、神々しい。
それでは早速封印を解いてみよう。タッカラプトポッポルンガプピロットパロ。
重装歩兵の力強さと、布を織る鶴のような繊細さが1LDKで同居している。
豪華なジャニーズJr.のように、後ろから見ても輝きは色褪せない。
これはまるでヴィーナスの誕生である。ボッティチェリや色彩の魔術師ラファエロがこのアイテムを見たらどういう風に表現していたのか、ルネッサンス時代にタイムマシンで送り届けて確認したいぐらいの興奮である。
T-SITEで購入したのだが、カスタマイズができるということでメモリを増設してもらった。カスタマイズといえば、貸した大豆と響きが似ている。
キーボードも貸した大豆。違う、カスタマイズ。やたら多いファンクションキーにショートカットを当て込むのが好き。
かくして、僕とiMacの日々は始まった。
まず、立ち上げてwi-fiにつないだら、あっという間に同期が始まって、僕の持っているMacBook Airとすぐさま同じ態勢が整ったのがすごい。今ここにある未来である。
マウスのスピードや、時計や、ショートカットキーを自分好みに設定したり、諸々のアプリを落として、装備完了。
macOS Mojaveにアップデートして、ダークモードを実践。思わず「闇よりもなお昏きもの 夜よりもなお深きもの 混沌の海にたゆたいし 金色なりし闇の王 我ここに汝に願う 我ここに汝に誓う 我が前に立ち塞がりし すべての愚かなるものに 我と汝が力もて等しく滅びを与えんことを」と呪文の詠唱を始めたくなる。
iPadとの連携も素晴らしい。写真をパシャりと撮れば、送らずともiCloud経由ですぐさまiMacで作業ができる。V9時代の巨人を彷彿とさせるようなこのチームAppleの連携具合がたまらない。
ここまで色々と語ってきたが、リンゴの皮のような身のない内容ばっかりだったので、「え、こういうのが知りたいんだよ」というiMacの詳しい使い方などは僕も大好きなこちらのサイトで確認されたし。
iMacが机上にあると、机を片付けたくなる。部屋だってそう。お掃除がネットサーフィンのように軽快にできるようになる。
それにちょっと眺めるだけでも気分がいいから、人に優しくなれる。触らなくても、たった見るだけで幸福の種をくれる。
僕の日々に欠かせない相棒ができた。きっと、この喜びや便利さを生徒たちに還元できる日もそう遠くはないだろう。松岡修造と気温の関係性ぐらい確信している。
決して安くはない買い物だが、後悔はしていない。ちなみに、この記事も今まさにiMacに向かって綴っている。文字が打つのが楽しすぎて、ついつい余計で意味の伝わりにくい比喩ばかり入れてしまった。まるでカラスの長者番付のようだ。
最後に、壮大なメッセージを掲げて終わりにしたい。
iMacのiは愛だと思う。きっとみんながiMacを持てば、世界は平和になるはずだ。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
そして、日々は生命の進化のように続いていく。うざかったらごめんなさい。
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