少し昔の話をしよう。
教室にA君という生徒が居た。彼は、面談などでも学校の先生から度々「集中力がない」と言われるタイプで、確かに教室での様子も注意力散漫であった。
他の人の物音が気になってしまう。他の人への解説が気になってしまう。他の人との雑談に入ってきてしまう。目の前のことに集中できず作業になってしまう。
教室の片隅で、講師たちの個別指導の授業を端から見ていると、よく目が合うのがA君であった。顔を上げて、こっちを見てニコニコしている。きっと今までに彼は何度もこう言われてきただろう。
「集中しなさい!」
僕もついつい言ってしまいそうになった。いや、実際に言ったこともあると思う。それが、「なるほど。集中はしているんだな」と気付いたのは、それからだいぶ後のことであった。
そう、A君も集中していないわけではないのだ。ただ、集中力を向けている方向が違うのである。
そもそも人間の集中力などというものは、何時間も続くものではない。みんな、限りあるそれを、ほぼ無意識的に上手に配分して生きているのだ。
わかりやすく数値化してみよう。
ある人は自分の持っている100の集中力を、目の前のことに50使う。50は使わずにしまっておく。方向的に言えば、一つの方向に集中型だ。
またある人は集中力を目の前のことに30、周りに10ずつぐらい向ける。
さらにある人は、目の前に10、周りに15とか20とかといったように向ける。特に、動きのあるものに注目し、集中力の流動が激しい。
いいも悪いもない。これらは「集中力の使い方」の違いというだけだ。
ただ、勉強においては、後者になればなるほど不利に働くということが容易に想像つくだろう。
もちろん、同じ人でも時と場合によって集中力の使い方は異なる。わかりやすい例を挙げれば、危険を感じるような場所では、誰しも注意力散漫になるのは当たり前だろう。ちなみに、念の為申し伝えておくが、A君が居た教室がデンジャラスだったというわけでは決してない。
他にも、個人の特性として不安を感じやすかったり、自己肯定感が低かったり、慣れない場所にいるときなどは注意力が分散しがちだ。
もう一度A君のお話に戻る。彼は、決して集中していないわけではなく、その方向性が違うだけであった。
だから、僕は声をこうかけた。
「集中しなさい」ではなく、
「集中しなくていいよ」と。
大丈夫。ここは味方がたくさん居る場所でしょ?
だから、周りに集中しなくていいよ。安心していいよ。
みんなあなたがいい子っていうことはすごくよくわかっているから、もうそんなに周りに気を配らなくてもいいんだよ。
突然話を振られて困る心配や「なんで話聞いてないの?」なんて言われることもないからね。
そういった声掛けで、「目の前10 右20 向こうにいる先生30 左15」というA君の集中力の向きを、「目の前10」だけにしたのだ。
効果はテキメンであった。
まずは解くスピードが変わった。速さだけではない。正答率も良くなり、授業のテンポが変わったのだ。顔は上がらなくなった。目は合わなくなった。ちょっとだけ寂しかった。でも、嬉しかった。
いつの間にかその10の集中力は、20や30へと膨れあがり、一点に注がれているなと、見ているこちらもわかるような姿勢になっていた。
A君は変わった。
先日、そんなA君と電車の中でバッタリ会い、近況を聞けた。彼は就職し、立派な保育士になっていた。
「良く気が利くねって、めっちゃ褒められるんですよ」と笑っていた。
そこで色んなことを思い出しながら、「たしかに、それは想像つくな」と僕も一緒になって笑った。
彼は、昔も今もとってもやさしい子なのだ。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
現象には理由があって、それを掴み、活かすことが大切なんだよね。
0コメント