少し前に、こんな記事を読みました。
簡単に紹介しますと、
中学入試では満点、何なら大学入試問題も解く子どもたちに「国語をどうやって勉強したの?」と訊くと、「国語なんか勉強したことありません」と返ってくる。じゃあやっぱりそれって才能なのか?いやいや、そこにはある共通点があるのです!
というお話。詳しくは是非記事をご覧くださいませ。
ここで秀逸だなぁと思った喩えが、こちら。「読書できること」は、決して才能ではないことを、スポーツの例を挙げて説明しています。
野球が嫌いで、野球などしたことがない子供が、野球が上手なはずがありません。水に漬かったこともないのに、スイスイと泳げる人はいません。鍵盤に触れたこともないのに、軽やかにショパンを奏でられる人もいません。極めて当たり前のことです。同じように、普段本を読まないながら読書力は高い、ということも、決してないのです。
だからこそ、非常に高い読解力を持つ子どもたちも、口では国語など勉強したことがないと言いながら、必ず、どこかで、何らかの形で、読解の訓練をしていたはずだと筆者は言います。
その次の文が注目ポイント。
どのような訓練をしていたか。自分では訓練と思っていない訓練、そこに読解力を高める方法へのヒントがありそうです。
そう!今回、迫っていきたいのが、この「訓練と思っていない訓練」というやつです。
言い換えれば、「勉強と思っていない勉強」でしょうか。
これって最強ですよね。自分でも知らない間にどんどん成長しているわけですから。
もともと人間には知識欲がありますから、ちょっと頭に負荷はかかっても、嫌じゃないんですよね。適度な負荷はむしろ気持ち良かったりするわけです。みんなクイズとか好きだもんね。
当塾にも理科や社会の模試偏差値が65超えの子達がいますが、彼らも特段それについて勉強しているというよりは、「元々好き」だったり「元々知っている」だったりするんですよね。だから、ちょっとした知識の応用問題も楽しんでやれる。
「勉強と思っていない勉強」だから、塾の休憩時間にもやれちゃったりする。そりゃ伸びるわって話です。
「勉強と思っていない勉強」をさらに言い換えれば、「勉強することが自然で当たり前になっている」ということですよね。
これは「習慣化」の力も借りているわけです。習慣ってことは、少ないエネルギーでできるし、心的負担もかからないし、なんならやらないと気持ち悪くなるレベルってことです。
だから、物理的に量も増える。もっと伸びる。結果も出る。楽しいからもっとやる。
最高のサイクルじゃないか。
それを知っている僕ら大人が子どもに向けてとれるのは、ハマるきっかけ作りってことですかね。
ただ、最後に注意点。「勉強と思っていない勉強」にも、いつか「勉強しなくちゃ倒せない相手」が出てくるかもしれません。
そんな時、今までやっていなかった分「勉強な勉強」が気持ち的にも物理的にも難しいことがあります。
「勉強と思っていない勉強」、逆の意にあたる「勉強な勉強」、どっちも大切にしながら、着実に実力をつけていきましょうね。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
どちらにせよ、やっぱりコツコツに勝るものはないんだよな。
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