お仕事とは辛いもの。
そう言う人もいます。
仕事って楽しいよ。
そう言う人だっています。
きっとどちらも本当のこと。
どんな仕事にもきっと、辛さや厳しさがあって、
どんな仕事にもきっと、楽しみや感動がある。
でも、なるべくならやっぱり、
「やってて良かった」と思えるお仕事が良いよね。
私はこの仕事を天職だと思えていますが、
生徒のみんながいつか、
そんな風に思えるお仕事に出会えることを、心から願っています。
今日は、教育業の宣伝w
こんなお話を、どうぞ。
ある小学校で良いクラスをつくろうと一生懸命な先生がいた。
その先生が五年生の担任になった時、
一人、服装が不潔でだらしなく、遅刻をしたり、居眠りをしたり、皆が手をあげて発表する中でも、一度も手を上げない少年がいた。
先生はどうしてもその少年を好きになれず、
いつからかその少年を毛嫌いするようになった。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
そこにはこう書いてあった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。弁口もよくでき、将来楽しみ」とある。
間違いだ。他の子に違いない。先生はそう思った。
二年生になると、
「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。
三年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする」。
三年生の後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、
四年生になると、
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。
先生の胸に激しい痛みが走った。
だめと決めつけていた子が突然、
深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かされた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで、教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?
わからないところは教えてあげるから」。
少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。
六年生で先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。
そして、今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした」。
それから六年。
またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。
おかげで奨学金ももらって医学部に進学する事ができます」。
年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えた事への感謝と、
父親に叩かれた体験があるから感謝と痛みが分かる医者になれると記され、
こう締めくくられていた。
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。
あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
五年生のときに担任して下さった先生です」。
そして一年。
届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母親の席に座ってください」と一行、書き添えられていた。
先生は嬉しくて涙が止まらなかった。
素敵なお話ですね。
こんな立派な先生にはなかなかなれませんが、
誰でも、そうなろうと努力することは出来ます。
生徒とちゃんと向き合うこと。
難しいし、大変だし、正解があるわけではないけれど、
そこに、譲れない楽しみや喜びがちゃんとあります。
塾には、
年長さんから大学受験生まで、
多くの生徒が通ってくれています。
その受験生が講師になって、
塾に残ってくれることもあります。
こんなに長く人の成長を見ることが出来るのも、
このお仕事の楽しみだと私は思います。
私が塾が大好きな理由の一つは、
きっと、そこに居る人が大好きだから。
生徒も講師も、
日々すごく頑張ってくれています。
もちろん、今まで出会った生徒や講師もそうでした。
きっとずっと、多分、これからもそうであることでしょう。
そんな周りに心から感謝しながら、明日も頑張れる。
そんなお仕事に出会えてよかったと思います。
長々語ってしまいましたが、
教育業に興味が出た方は、私までw
私でも出来るのだから、
「やりたい!」と思ったあなたなら、
きっともっと素晴らしい教室が創れるはずです。
長い宣伝になってしまいました。
おやすみなさい。
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