田中泰延著『読みたいことを、書けばいい。』を読んだ。
著者の田中氏は、元電通のコピーライター。現在は退職し、青年失業家と名乗っている。それだけでも面白いのだが、今回、初の著書の冒頭の小見出しのタイトルが「あなたはゴリラですか?」というのだからすごい人だ。もしくは、すごいやばい人だ。
田中氏を初めて見かけたのは、僕の大好きな「ほぼ日刊イトイ新聞」でのことだった。伝説のコピーライター糸井重里氏の運営する「ほぼ日」で、彼のこんなエピソードが紹介されていた。
それは糸井さんと田中さんの初対面の際のお話。ある集まりのお花見に向かう糸井さん。駅で田中さんと待ち合わせ。その時に田中さんはその集まりに持っていく「糸井さんからのお土産用のお酒」を持っていて、糸井さんがその気遣いにびっくりしたと言うお話。
「これから会う方々は、
とにかく酒さえあれば機嫌がいいので、
これは糸井さんからの差し入れだっていうことで、
勝手に用意させていただいたんで、
お渡しする時だけ持っていただけませんか」
中を開ければ、熨斗に大きい筆文字で「糸井」と書いてある。そして、実際に会場に持っていけば、「あの糸井さんからお酒をもらったぞー!」とお花見は大盛り上がり。
このエピソードからも分かる通り、田中氏は気遣いの人だ。田中氏の文面自体はなんだかお調子者の感じなんだけれど、所々に配慮や優しさがちゃんと置かれている。だから、安心して笑えるし、学べるし、好きになる。文章っていいなって思わせてくれる。
自分の好きなことを、書いてみようかな。
そんな気にさせてくれる。これはそんな本だ。
そもそも田中泰延とは何者?
生徒の多くは彼のことを知らないだろう。だから、ここで詳しく説明をしていきたいと思う。
と思ったが、僕も田中さんに会ったことはない。ここはとっても物知りのウィキペディアくんの意見を参考にしたいと思う。
田中氏は、1969年生まれ。これは昭和44年のことだ。ちなみに、昭和であれば和暦に25を足すと西暦になる。変換が楽だから覚えておいて欲しい。この年の1月1日は水曜日。僕はあまり水曜日が好きではない。溢れ出る真ん中感がちょっと気恥ずかしい。火曜日や木曜日のさりげない感じの方が好きだ。土曜日や日曜日のはじっこ感はもっと好きだ。分かる方はいるだろうか。
いやいや、僕の好き嫌いについて述べている場合ではない。ご紹介であった。田中氏は、大阪生まれ。大阪といえば、阪神タイガース。うちの父親もタイガースファンで、巨人ファンの多い家族の中で孤立している。阪神ファンは、選手に浴びせる罵詈雑言が有名だが、実は愛情深く選手思いの面々が多いのだ。阪神ファンを写真で表すとこうなる。
陽気である。
田中氏がどのチームのファンかは存じ上げないが、きっと陽気な方なのだろうと思う。
大体、彼のことがわかってきたのではないだろうか。
え?まだイマイチだって?仕方ない。
それでは本書でも紹介されている彼の素敵な文章への入り口を、ここにも作っておこう。大阪だからってノックはいらない。これで僕らはいつでも1969年大阪生まれの田中氏に会える。
どれも道中最高に面白いけど、最高に長いから要注意である。
読みたいことを、書けばいい。について
著者の人となりがわかったところで、本の中身についても触れていこう。
「人生が変わるシンプルな文章術」と銘打たれたこの本だが、実のところテクニック的なことがガツガツと書かれているわけではない。
書いてあるのは、一貫して「書くことについての考え方」である。
田中氏は言う。いや、書く。
「ほとんどの人はスタートのところで考え方がつまづいている。最初の放心が間違っている。その前にまず方針という漢字が間違っている。出発点からおかしいのだ。偉いと思われたい。おかねが欲しい。成功したい。目的意識があることは結構だが、その考えで書くと、結局、人に読んでもらえない文章ができあがってしまう。
ふむふむ。僕もよくやりがちな根本スタートミス。ではどうすればいいのか。この本には、ついつい「バズる記事の書き方」みたいなハックに注目してしまう僕らへ、こんなメッセージが添えられている。
この本は、そのような無益な文章術や空虚な目標に向かう生き方よりも、書くことの本来の楽しさと、ちょっとのめんどうくささを、あなたに知ってもらいたいという気持ちで書かれた。
そして同時に、なによりわたし自身に向けて書かれるものである。すべての文章は、自分のために書かれるものだからだ。
すべての文章は自分のために書かれるもの、という言葉がグサリと刺さった。そういえばこの前何かの拍子に「グサリと刺さった」と言ったら小学生の生徒が「臭いと刺さったってダブルパンチだね」と言って笑っていた。臭いと刺さったはどちらがキツイだろうか。5感の中でも記憶に残りやすいのは嗅覚だと言うから、臭いが勝つのだろうか。
違う、違う。本の内容に戻ろう。すべての文章は自分のために書かれる。その通りだと思った。どんな文章も、最初の読者は書いた自分自身。そして生みの親も自分だ。自分自身が満足していないと、自分自身が楽しんでいないと、そんな文章は悲しすぎる。
筆者はこうも言う。いや、書く。
「自分が楽しくなる」というのは単に気の持ちようが変わる、気に食わない現実をごまかす、ということではない。書くことで実際に「現実が変わる」のだ。そんな話を始めたい。
楽しんでいる上に、現実が変わるなら、こんなにハッピーなことはない。労力がどうとか、目的がどうとか一旦置いといて、書きたいから書く。そこが紛れもない真実だから、きっと現実が変わっていく。
「ペンは剣より強し」と昔、誰かも言った。書くことで変わる世界が、たしかにあるのだ。
この本は、ビジネス本ではあるけれど、そんな「書くことで変わった世界」に田中氏が出会った体験談について書かれている自伝でもある。さらに、そんな事象を踏まえて、筆者自身が思ったことや考えたことを綴ったエッセイでもある。だから、巷に溢れる自己啓発本のような読みにくさや嫌みがない。
「よし!これで素晴らしい文章が書けるようになるぞ!」という術が見つかるわけではないけれど、「うん、なんだか少しだけ文章書くことが好きになりそう」というヒントがもらえる本だ。
いつも苦しそうに何かを書くあの子に薦めてみよう。
紹介されているテクニック
「上記にあるような、あなたの抽象的な感想はいらないので、具体的に何が書かれているか教えてください」という読者のために、本書の具体的な解説もここに残しておきたい。
極力ネタバレはなしにしたいのだが、先日林先生の初耳学でも話していたことだから書いても大丈夫だと思う。著者が大切にしている「どう書くのか」についての部分である。
田中氏は言う。もう言うでいいよね。
物書きは「調べる」が9割9分5厘6毛。
ということは、「書く」が4厘4毛。バッターであれば、翌年クビになる打率である。
しかし、それぐらい準備が大切と言うことだ。これは生徒たちにもちゃんと伝えたい。そして、その「調べる」を的確に実行するために、勉強が必要ってことも。勉強ってさ、中身だけじゃなくて、その学び方も学ぶものだからね。
他にも、気になるこんな情報が。
- 文書と文章の違い
- 小説と随筆の違い
- 広告の書き方
- 何を書いたかよりも誰が書いたかが大きい
- 履歴書の書き方
- 資料の調べ方
- 文章の書き方
- 書くこととは何か
- いつどこで書くのか
合間に田中さんの癖になる文章が楽しめる。笑いながら学ぶのは実に脳にいい。そして、読めば読むほど、テクニックよりも大切なことがあることを、文そのものから実感できるはずだ。
まとめ
ここまでぐだぐだと書いてきたが、到底目標の700万字には及ばない。だから、諦めて、締めに入ろうと思う。
この本を読み終わった時、僕の抱いた感想はこの一言だ。
「早く何か書きたい」
自分の中で溢れ出しそうになっている、そんな気持ちを見つけた。
拙くても、へたっぴでも、誰にも読まれなかったとしても、残したい言葉がある。この本を読んで、思ったことを書いてみたい。そんな風に思ったのだ。
そして、書いてみた。ご覧の通り、よくわからない文章になってしまったけれど、楽しかった。ちょっとにやにやしながら書いてしまった。気持ち悪い。気持ちよかった。この本に感謝。次回はもっと調べてから書こう。
まだまだ僕はどこか打算的に何か求めながら書いてしまうんだろうけど、この本を読んで改めて文章を書く楽しみに触れられた気がする。僕は、書き続ける。なるべく自分のために。自分が楽しいから。それが何処かで誰かのためになったなら、こんなに嬉しいことはない。
その昔、ノーベル文学賞受賞作家ヘルマン・ヘッセは言った。
「書物そのものは、君に幸福をもたらすわけではない。ただ書物は、君が君自身の中へ帰るのを助けてくれる」
そう、この本は、僕たちを自身の中へ回帰させ、今まで目を背けていた真実に気付かせてくれる。僕らの中に眠る、ゴリラの存在に。
もっと好きに生きればいい。もっと好きに書けばいい。やりたいならいくらでもドラミングするがいい。恐れることはない。
それが、誰かを救うこともある。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
書くって、とっても面白い。
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