※この物語は事実を基にしたフィクションです。
僕が生まれた頃、最後の氷期が終わって、ヨーロッパ付近の火山活動が落ち着いたのだと誰かが言っていた。約10000年前ぐらいのことだ。
その後、どうやら僕は生まれつき賢かったのと、他のみんなに比べてだいぶ長寿だったようで、銅を作ったり(紀元前8800年ごろ)、何処かで知った農耕の技術を伝え歩いたりして、各地で文明の基礎を築いた。
紀元前3000年ごろに、エジプト文明やメソポタミア文明、インダス文明や中国文明が出来た頃は、我ながらよく働いた。アドバイザーとして各地を転々としていた。
その後もヨーロッパの方の民や始皇帝に助言しながら余生を楽しんでいた僕は、その前後のある時、バカンスで小さな島国に辿り着く。最初はほんの短いバカンスの予定だったのだけれど、その美しさに惚れて定住を決めた。それが日本だ。
当時は、今で言う縄文時代から弥生時代への過渡期だったように思う。なんだか派手な土器を見て、職人達に「え、これ使いやすいようにもっとシンプルにしたほうがいいんじゃない?」とアドバイスしたのが僕だ。そしたら、改良したそのシンプルな土器がめっちゃ流行った。
大陸の方に知り合いもいたから、紹介したら、金印をもらってきた。当時はそれがこんなに歴史に残るなんて思ってもみなかったけどね。歴史に残っているので言えば、57年と239年にもらった金印が有名かな。卑弥呼にも占い師風にするといいよって助言した。彼女には才能があった。
「なんか世界の国々では、権力を誇示するためにでかい墓作るよ」って言ったら、古墳が出来た。はにわのコンセプトデザインも僕が手掛けた。いい感じでしょ。
飛鳥時代がやってきて、やっぱり一番話があったのが、厩戸皇子こと聖徳太子かなぁ。彼賢かったからね。ちょっとヒントをあげたら、自分でどんどん新しい仕組みを作っていった。「冠位十二階」や「十七条の憲法」ね。あ、数字つけたほうがいいよって言ったのは僕。具体性とインパクトが出る。法隆寺も建て方のヒントあげた。
大化改新の時は近くで見てただけだけど、どの時代も権力争いってやっぱりあるんだよね。その後、中ちゃん(おそらく中大兄皇子のこと)の息子と弟が戦うことになった時はなんだか虚しさを覚えたよね。ちなみに、その時の乱(壬申の乱)は関ヶ原でやったんだよ。すごいよね、関ヶ原。
奈良時代が来て、仏教グッズや大仏グッズで一儲けした。人間が宗教に弱いっていうのは、過去の歴史から知ってたからね。古事記や日本書紀や万葉集の編纂もちょっと手伝った。内緒ねこれ。
平安時代が来て、貴族っていう、まぁ、今で言うニートかな、彼らが歌で遊んでいたから、編集や広報チームを作って、とにかく売った。紫式部の源氏物語でしょ、清少納言の枕草子でしょ、あとは、紀ちゃん(おそらく紀貫之)たちの古今和歌集でしょ、空海や最澄に「やっぱ本場見といたほうがいいよ。YOUたち海外行っちゃいなYO」って助言もした。
ここで予想外のことが起きた。天皇や貴族がずっと権力を持っていくんだろうなーと思っていたら、武士と呼ばれる人たちが力を持ち始めた。鎌倉に幕府ができた時は驚いたぜ。ちなみに、義経は可哀想だったから僕のつてを使って大陸の方に逃してあげた。向こうでも頑張ってたらしい。
征夷大将軍になった頼朝には最初の頃から御恩と奉公のシステムには欠点があるよと伝えていたのだけれど、奥さんが強気で全然言うこと聞かなかった。まぁ、僕もその頃は政治への介入を避けてたから、強くは言わなかった。面倒臭いしね。
その後何だかごちゃごちゃして、天皇が増えたり減ったり、「そろそろ日本終わりかなー」て思って見てたけど、足利義満っていう有能な男が出てきて、なんやかんや大丈夫にした。あの金閣建てたやつね。
まぁでも結局彼が死んじゃった後はゴタゴタして、戦国時代が始まった。「下克上や!」とみんな燃えていた。僕の推しだった織田信長がよく頑張ったけど、結局その後を継いだ豊臣秀吉とやらが天下を統一した。太閤検地とか、刀狩りとか、朝鮮出兵とか、彼も頑張ってたよね。
あっぱれだったのは、徳川家康だ。待ちに待って、ようやく天下を獲った。考えた仕組みも良かった。江戸時代、よくあんだけ続いたよね。えーと、僕のところに助言をもらいにきたのは、3代目の家光と8代目の吉宗と15代目の慶喜かな。5代目の綱吉の時は「生類憐みの令、ナイス!」って影ながら応援してたけど、あれ、だいぶ反感かったみたいだね。僕は犬好きだったから。
後半の、享保の改革や寛政の改革、天保の改革や地図作り、解体新書や薩長同盟も裏で少しだけ関わった。坂本龍馬はね、本当に面白い男で、僕が「5000年以上生きてる」って言ったら唯一信じた日本人だった。惜しい時に亡くなったよね。
のちに幕末といわれるあの頃は本当色々あって、各々の中身とそれに付随する面白い裏話について詳しく説明してもいいんだけど、誰も興味ないだろうから今日はやめとくね。とりあえずペリーとハリスはいいやつ。国と国の間で板挟みになってたよ。まぁ、あの時の国力の差は凄まじかったからね。
明治になって、ちょっと怪しい雰囲気を僕は感じ取っていたけれど、驚くべきスピードで物事が進んでいったから、きっとみんな大事なものを見失ったんだろうね。ちなみに、この頃の廃藩置県や国会開設や大日本帝国憲法や日英同盟のアドバイスをしたのも僕。極秘だけどね。薩長とは長い付き合いだったし。
ここから僕は、少し長い旅に出るんだけど、それがいけなかったのかもしれない。帰ってきたら、戦争が始まって、終わっていた。関東大震災もあった大正という時代がたった10年ちょっとで終わって、昭和が来て、僕の愛すべき日本に原爆が落ちた。
それから僕はありとあらゆる文献や情報を辿って、どうすればそんな最悪の事態が避けられたのかをよく考えた。日本のこと、世界のこと、いろんな歴史を改めて学んだ。長く生きていても、わからないことだらけだ。そして、今も考え続けている。
その答えの一つになるかどうかわからないけれど、国際連合という組織の発足を裏から手伝った。
そして、「平和主義」という文言が入った憲法が、初めて作られる現場を目の当たりにした。これは偉大なる約束だと思った。
10000年以上生きてきて、わかったことは、人間はいつの世も愚かだということだ。でも、いつでも彼らは僕の想像を超えてきた。「もうダメだろうなぁ」という僕の予想に反して、次々と世の中をより良い方向へと向かわせてきた。
農業革命、産業革命、そして、情報革命。あんなにも短い寿命の中で、僕の中にはなかった発想を生み出し、世界を変えてきた。
そして、これから。平成が過ぎ、令和が来て、はたしてどんな未来が広がるのか。僕も楽しみにしている。
だから、学べよ、若人たちよ。
学んだ先に、君が望んだ世界がある。こともある。それは誰にもわからない。
だから、学ぶんだよね。
おっともう時間か。こんな感じで、本日の僕のお話はおしまいです。ありがとうございました。
匿名希望(自称10800歳) 藤沢市民会館にて講演の記録
※改めてこれはフィクションです。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
次回もし呼ばれたら、日本と世界のつながりについて語りたいと思う。同時期にこんなことがあったって、面白そうじゃない?
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