「さぁ、それでは問題です。日本で二番目に高い山の名前はなんでしょう?」
「…き、北岳」
僕が答えると、巻き起こったのは拍手や歓声なんかじゃなくて、どこか渇いた笑い声だった。正解はしたけれど、また僕は笑われた。
僕の小学校では三ヶ月に一回くらいのペースでレクリエーションの時間がある。春のその時間を使って、うちのクラスではクイズ大会が開催された。
チームによる早押し対決。クイズは担任の先生の趣味らしいのだけれど、正直クラスの子たちは僕以外全然楽しそうじゃなかった。
僕はクイズ番組や雑学が好きで、クイズ大会の最初のうちはつい調子に乗って答えすぎてしまった。そのうち、クラスの男子グループの一部が僕が答えるたびに笑うようになって、クラスのみんなもそれにつられるようになって、僕はだんだんと静かになっていった。
僕が答えた最後の問題、誰も答えられなかったその問題に答えたことによって、その日からの僕のあだ名は「北岳」になった。名字の北山に近いこともあってつけられた、誰も知らなかった山の名前。
くすくす笑いながら呼ばれるその名前に、僕はだんだんと嫌悪感を持つようになった。
僕は勉強ができた。知識があったから、小学校の大抵の問題は苦もなく正解ができた。それっていいことだと思っていた。なのに、なんで。
足が速いことみたいに。ドッジボールが強いことみたいに。絵が上手いことみたいに。ゲームが得意なことみたいに。なんで勉強ができるっていうことは認めてもらえないんだろう。
僕はちょっとずつ学校へ行く気力をなくしていった。
そんな時だった。夏のレクリエーションを決める学級会で、クラス1足の速い人気者の箕輪くんが「先生、次もクイズ大会やりたいです」と手を挙げて言った。僕は「勘弁してよ」と思った。その日は絶対休もうと決めた。チーム決めの最中も、クラスの一部の子たちがこっちを見て既にニヤニヤしているのがわかった。
でも、結局休まなかった。違うチームになった箕輪くんが、僕と戦うのを楽しみにしてるとあの日の放課後に言ってくれたからだ。僕はどこかで何かを期待していた。
「俺さ、前回の北山っちの快進撃を見て、知識があるっていいなあって思ったんだよね。だから、塾に通ってさ、めっちゃ勉強したんだ。頭良くなりたくて。当日、勝負しようぜ。楽しみにしてる」
箕輪くんはそう言った。その言葉に勇気をもらって、僕は結局休まなかったのだけれど、クイズ大会が始まってすぐに後悔をした。
僕が答えるたびに、端っこの方から聞こえてくる小さな笑い声。さすがに今回は僕も答えるのを控えていたんだけど、チームから一人だけが出るような絶対に回答しなきゃいけない問題でもそういう風になるから、もう手に負えなかった。先生が「こら。笑うのはやめなさい」と言ったけど効力はなかった。だから、わざと間違えた。余計に笑われた。僕は下を向いて、何もできなくなっていた。
その時だった。
「笑うなよ」
大きな声で箕輪くんが言った。ただの注意じゃなくて、怒っている感じだったのが僕にもわかった。教室がしんとなった。
「真面目にやってる奴を笑うなよ。何が面白いんだよ。俺の塾の先生が言ってた。卑怯者ほど気持ち悪く笑うって。笑う時は気持ちよく笑えって」
箕輪くんは堂々と前を見ながらクラス全体に伝わるようにそう言ったあと、僕の顔が上がるのを待って、僕の目を見ながら続けた。「その熊みたいなでっかい先生が満面の笑みで言ってたよ」
「物知りってなぁ、格好いいんだぜって」
なんだかよくわからないけれど、僕を風が通り抜けた気がして、急に何も怖くなくなった。僕は真っ直ぐ箕輪くんの目を見据えた。
「やろうぜ、勝負」箕輪くんの言葉に、僕は力強く頷いた。
決勝戦に進んだのは、僕のチームと箕輪くんのチームだった。箕輪くんはすごかった。僕の答えられない問題もガンガン答えていた。もちろん僕も負けないようにガンガン答えた。いくら答えても、もう誰も笑わなかった。
そして、最後の問題がやってきた。円周率を交互に一桁ずつ答えていく問題だった。前に出たのは、僕と箕輪くん。先行の箕輪くんから勝負は始まった。
「3」え、これでいいんだよねという感じで箕輪くんが言った。先生が頷いた。
「1」すぐさま僕は答えた。
「4」まだまだ余裕がありそうな箕輪くん。
「1」僕もまだ大丈夫。
「5」箕輪くんがちょっとだけ間を作ってから言った。頭の中で言い直したのかも。
「9」僕も頭の中で言い直してから言った。1と言いそうになって一瞬焦った。
「2」箕輪くんがすぐ言った。
「6?」ちょっと弱気になって僕は言った。正直あんまり覚えてなかった。リズムに身を任せた。先生がオッケーの白旗をあげた。
「5」静まりかえった教室に、箕輪くんの呟きが響いた。少しの間の後、先生が白旗をあげた。
……その後の僕の番は沈黙が続いた。正直わからなかった。僕を笑ってた子たちも真剣な眼差しでこっちを見ているのがわかった。僕はそれだけでなんだか満足だった。そして、僕はなぜか北岳を思い出していた。北岳の標高は3193m。縁のある数字は3かな。
「3」
沈黙。
「8」間髪入れずに箕輪くんが言った。「え?知ってるの!?」と思った。でも、上がったのはNGを示す赤旗だった。箕輪くんが「いや、普通に3までしか知らないし。負けたー」と言って笑った。歓声が起こった。
僕と同じチームの二人はガッツポーズしていた。なんだかすごく嬉しかった。勝ったのがじゃない。実質僕は負けてた。勝ったことじゃなくて、本気で戦えたことが、それを認めてもらえたことが嬉しかった。
「またやろうな」箕輪くんが言った。僕は泣きそうになりながら「うん」と力強く頷いた。
帰り道、僕は箕輪くんに言った。「僕もその塾行ってみたい」
「え、でも塾長めっちゃ顔怖いよ。遠いし、意外と厳しいし、塾の名前ださいし」と言いながら、だけど箕輪くんもどこか嬉しそうだった。
「でも、北山っちもいたら余計楽しそうだなー」箕輪くんがニカって笑った。
僕も真似してニカって笑ってみた。下手くそな笑顔が夕焼けに照らされて、なんだか温かかった。
北岳
北岳は山梨県南アルプス市にある標高3193mの山。赤石山脈(南アルプス)北部に位置し、富士山に次ぐ日本第2位の高峰である。火山でない山としては日本で一番高い。
「ブラック先生の個別指導塾日記」目次はこちら。今回先生出てきてないけど。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
しばらく続いていきます。
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