写真は、保護者の方から頂戴した新鮮な野菜。それを下ごしらえしたり茹でたりしながら、ふと思いついたことがありました。本日はそのことについて書いていきたいと思います。
話は勉強の話に飛びます。
生徒たちからもよく出る「わかりませんでした」という言葉。
一番気になるのは、宿題をやってこられずに出てくる「わかりませんでした」ですかね。もちろん、わからないこと自体は悪いことではありません。でも、その時の姿勢が気になる時があるんです。
それは「わかりませんでした」と言っておけばいいでしょ、みたいな姿勢の時です。それなら仕方ないでしょ、的な雰囲気を纏っている「わかりませんでした」です。面倒臭いの代わりの「わかりませんでした」です。これは撲滅したいですね。
話は野菜に戻ります。
もしも、目の前に調理法がわからない食材があったら、とりあえず調べますよね。今の時代はネットがあれば秒で調べられるし、勉強でいえば前のページやノートでやったことしか基本宿題には出していませんから、一度は理解しているはずなわけで、調べる術や理解しようとする方法はいくらでもあるはずなのです。
でも、調べない。それはつまり「必要性」を感じていないってことですよね。では逆に、「必要性」が感じられないものを勉強して意味があると思いますか?成長していくと思いますか?なんて、ちょこっと詰めてみました。
そうそう、僕は折角勉強するわけですから、その勉強することに対して、「必要性」を感じて欲しいのです。もっと貪欲に、ワクワクと、成長を目指して欲しいのです。受け身ではなく、能動的に勉強に取り組んでほしいのです。やらされるんじゃなく、やる。その姿勢が見たいのです。
それができれば、間違いなく成長していきます。本当だよ。
下ごしらえ完了。美味しかった。
本日もHOMEにお越しいただき誠にありがとうございます。
具体的な勉強をする意味についてはこちらの記事でもいくつか挙げています。参考までに。
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